かく、おびたたしくふることは、しばしにてやみにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二、三十度ふらぬ日はなし。十日·二十日過ぎにしかば、やうやう間遠(まどほ)になりて、あるいは四、五度、二、三度、もしは一日(ひとひ)まぜ、二、三日に一度など、おほかたその余波、三月(みつき)ばかりやはべりけむ。
四大種(しだいしゆ)のなかに、水·火·風は常に害をなせど、大地に至りては異なる変をなさず。昔、斉衡(さいかう)のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首(みくし)落ちなど、いみじきことどもはべりけれど、なほこの度(たび)にはしかずとぞ。すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にしのちは、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。
【現代語訳】
また、同じころだったか、ものすごい大地震があったことがある。そのさまは尋常ではなかった。山は崩れ、その土が河をうずめ、海が傾いて陸地に浸水した。大地は裂けて水が湧き出し、大きな岩が割れて谷に転がり落ちた。波打ち際を漕ぐ船は波の上に漂い、道行く馬は足の踏み場に惑っている。都のあたりでは、至るところ、寺のお堂や塔も、一つとして無事なものはない。あるものは崩れ、あるものは倒れている。塵や灰が立ち上って、もうもうとした煙のようである。大地が揺れ動き、家屋が倒れる音は、雷の音とそっくりだ。家の中にいると、あっという間に押しつぶされかねない。かといって、外に走り出れば大地が割れ裂ける。羽がないので、空を飛ぶこともできない。竜であったなら、雲にでも乗るだろうに。これまでの恐ろしかった経験の中でも、とりわけ恐ろしいのは、やはり地震だと思った。
このように、大揺れしたのは少しの間でやんだが、その余震がしばらく続いて絶えなかった。ふつうでも驚くほどの地震が、に、三十回揺れない日がない。しかし、十日、二十日とたつうちに、しだいに間隔があき、ある日には一日に四、五回、それが二、三回になり、もしくは一日おき、二、三日おきに一回というふうになり、だいたい三ヶ月くらい余震が続いただろうか。
四大種(地·水·火·風)の中で、水と火と風は常に害をなすものだが、大地の場合はふつうには異変を起こさない。昔、斉衡のころとかに、大地震が起きて、東大寺の大仏のお首が落ちたりして大変だったらしいが、それでもやはり今度の地震には及ばないとか。その直後には、だれもかれもがこの世の無常とこの世の生活の無意味さを語り、いささか欲望や邪念の心の濁りも薄らいだように思われたが、月日が重なり、何年か過ぎた後は、そんなことを言葉にする人もいなくなった。