ここに、六十(むそじ)の露消えがたに及びて、さらに末葉(すゑば)の宿りを結べることあり。言はば旅人の一夜(ひとよ)の宿を作り、老いたる蚕の繭(まゆ)を営むがごとし。これを中ごろの栖(すみか)に並ぶれば、また、百分が一に及ばず。とかく言ふほどに齢(よはひ)は歳々(としどし)に高く栖は折々に狭(せば)し。その家のありさま、世の常にも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めて作らず。土居(つちゐ)を組み、うちおほひを葺(ふ)きて、継ぎ目ごとに掛け金を掛けたり。もし心にかなはぬことあらば、やすくほかへ移さむがためなり。その改め作ること、いくばくの煩ひかある。積むところわづかに二両、車の力を報ふほかには、さらに他の用途(ようどう)いらず。
いま日野山の奥に跡を隠して後、東に三尺余りの庇(ひさし)をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子(すのこ)を敷き、その西に閼伽棚(あかだな)を作り、北に寄せて障子を隔てて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢(ふげん)を掛き、前に法華経を置けり。東の際(きは)に蕨(わらび)のほどろを敷きて、夜の床(ゆか)とす。未申(ひつじさる)に竹のつり棚を構へて、黒き皮籠(かはご)三合を置けり。すなはち、和歌·管弦·往生要集ごときの抄物(せうもつ)を入れたり。傍らに琴、琵琶(びは)おのおの一張を立つ。いはゆる折琴(をりごと)、継(つぎ)琵琶、これなり。仮の庵のありやう、かくのごとし。
【現代語訳】
さて、六十歳の露のようにはかなく命が消えようとするころになって、新たに晩年を過ごす住まいを構えることとなった。たとえて言うなら、旅人が一晩の宿を作り、老いた蚕が繭をつくるようなものだ。この庵は、壮年のころの住まいに比べると、百分の一にも及ばない。あれこれ言っているうちに、歳を一年一年重ね、住まいは転居のたびにだんだん狭くなる。新たに作ったその家のようすは、世間一般のものとは少しも似ていない。広さはやっと一丈四方で、高さは七尺にも満たない。場所がどこでないといけないとは決めないので、土地を所有して作りはしない。土台を組み、簡単な屋根を葺いて、材木の継ぎ目継ぎ目に掛け金を掛けてある。もし気に入らないことがあれば、容易に他の場所へ移そうとするためだ。その建物の建て直しに、どれほどの手数がかかろうか。車に積んでもたった二台に過ぎず、車の手間賃のほかには、少しも費用がかからない。
今、日野山の奥に隠れ住むようになってから、庵の東に三尺あまりの庇を差し出し、その下で柴を折りくべて炊事をする場所とした。南側には竹の簀の子を敷いて、その西側に閼伽棚を作り、その北のほうに寄せて衝立(ついたて)を隔てて阿弥陀の絵像を安置し、そのそばに普賢菩薩の絵像を掛けて、前には法華経を置いてある。東の端には伸びた蕨の穂が開いたのを敷いて、寝床にしている。南西には竹のつり棚を作って、黒い皮製のつづらを三つ置いてある。それは何かといえば、和歌·管弦に関する書、往生要集というような注釈書を入れてある。そのそばに琴、琵琶それぞれ一張を立ててある。世に言う折琴、継琵琶がこれである。仮の庵のありさまは、このようなものだ。
(注)折琴 ··· 折りたたみのできる琴。
(注)継琵琶 ··· 柄が取り外しできる琵琶。