ある日、長安の町に、ぼろぼろの僧衣をまとった男があらわれた。彼は一匹の小猿をつれていて、それを人に売ろうとしているのだった。
「この小猿には人間の言葉がわかる。走り使いをさせることもできる」
僧侶はそういったが、誰もみなまやかしだろうと思い、買おうとする者はいなかった。それでも僧侶は、毎日町にあらわれて、その小猿の買い手をさがし歩いた。
〓国(かくこく)夫人(楊貴妃の姉)はその噂をきくと、人をやってその僧侶を屋敷に呼び寄せた。僧侶が小猿をつれて来ると、夫人は会いに出て、猿を売ろうとするわけをたずねた。すると僧侶は答えた。
「拙僧は長安に出てまいります前、二十余年間、西蜀(せいしよく)の山中に住んでおりました。あるとき猿の群れが草庵の前を通り過ぎ、この小猿を置きざりにして行きましたので、哀れに思って育てておりましたところ、半年もたたぬうちにこの小猿は拙僧の心のうちを察し、拙僧の言葉を解し、拙僧の言いつけに従うようになりました。その後、故(ゆえ)あって長安に出てまいりましたが、事志(ことこころざし)とちがい、衣食にも窮するありさまで、身辺の物をことごとく売りつくし、残るのはこの小猿一匹。これを売って西蜀へ帰る旅銀にしたいと考えました次第。この小猿もよく拙僧の窮状を察してくれております」
夫人がそれをきいて、
「それでは、お金をさしあげますから、その猿を置いて行きなさい。わたしが飼うことにします」
というと、僧侶は感謝し、猿を置いて立ち去って行った。
小猿は夫人を恩人と思っているらしく、朝から晩まで夫人のそばにつき従い、なんでも夫人のいうとおりにしたので、夫人もたいへんこれを可愛がった。
小猿を買い取ってから半年ほどたったとき、楊貴妃から夫人に霊芝(れいし)(万年茸(まんねんだけ)。当時、瑞草とされた)が贈られてきた。夫人が小猿を呼んで、その霊芝を見せたところ、小猿はたちまち地にうち伏し、一人の少年に姿を変えたのである。十四、五歳の美貌の少年だった。夫人がおどろきあやしんで詰問すると、少年は事の次第を語った。
「わたしは姓を袁(えん)と申します。わたしを夫人にお売りしたあの僧侶は、もと蜀山(しよくざん)に住んでおりました。その蜀山へ、わたしは父のおともをして薬草を採(と)りに行き、三年ほど林の中で暮らしておりました。その間、父はわたしに薬草を食べさせていましたが、三年たったとき、おそらくその薬草のせいでしょう、わたしは猿に変身してしまったのです。父は気味わるがって、わたしを捨てて行ってしまいました。あの僧侶に引きとられたのはそのときでございます。その後、あの僧侶はわたしをつれて長安に出、衣食に窮してわたしを夫人にお売りしたというわけです。いままでわたしは口をきくことができませんでしたが、心の中ではすべてのことをおぼえております。夫人にご恩を受けるようになりましてからは、なんとかして自分の気持をお伝えしたいと思いながら、口をきくことができませんので、夜になるといつもそれが悲しくて泣いておりました。いま思いがけなくも霊芝のおかげで人間の躰(からだ)にもどることができ、心の中を語ることができて、こんなにうれしいことはございません。ただ、夫人がこのことをどうお思いになるか、それのわからないことが不安でございます」
この世にはめずらしいこともあればあるものだと夫人は思い、少年に錦の着物を着せてそばにいさせることにした。しかし少年の来歴については、近侍の者にかたく秘密を守るよう言いつけたので、世間では誰もこのことを知らなかった。
それから三年たつと、少年の容貌はますます美しくなり、楊貴妃もときどき夫人を訪ねてきては、少年とともに時をすごすようになった。夫人はそこで、楊貴妃に取りあげられることをおそれ、少年に一部屋を与えて侍女をつけ、外へは出させぬようにした。
少年は美味佳肴よりも薬草を食べることを好んだ。蜀の山中で薬草に慣れてしまったからだろうと夫人は思い、いつも侍女に命じて薬草を食べさせていたが、そのうちに侍女も薬草を好むようになっていった。そして、ある日、少年とその侍女は、突然、猿に変身してしまったのである。夫人は怪異を感じ、侍臣に命じてすかさず射殺させた。見ればそれは猿でもなく少年でもなく、木偶人形(でくにんぎよう)だった。
唐『大唐奇事』