秋を|あき《ヽヽ》と呼ぶのは「飽(あき)、つまり穀物が飽き満ちる季節」「開き、明らかで、空が明るく澄む季節」「緋(あき)で、木の葉が紅葉する季節」——と、さまざまな説がありますが、いずれも秋の景状をあざやかに浮かび上がらせています。
さわやかな青空が仰げるようになると、八百屋、くだもの屋、魚屋さんの店先には、それぞれ野の幸、山の幸、海の幸が豊富に出回るようになります。どれもこれも食欲をそそり、文字通り味覚の秋になります。秋はまた不思議となにを食べてもおいしい季節です。
「秋のかわきは人につく」——秋になると食欲が増すという意味のことわざです。しゅんの食べものが出回るとともに、夏やせも徐々に回復し、次に来るきびしい冬のための準備に、食欲も旺盛になります。いったい、こうした秋の味覚は、なにに由来するのでしょう。これには二つの理由があげられます。一つは食べもの自体がおいしくなること、もう一つは食べる人間の味覚がよくなることです。
秋には、動物にしろ、植物にしろ、耐乏の冬をひかえて、十分に実り、よく栄養をつけていることは、自然の要求といえます。それ故、くだもの、野菜、穀物、魚、また鳥やけものたちも、みな栄養的に充実しています。それを摂《と》ることができるのですから、おいしいのは当然でしょう。次に、私たち人間の味覚ですが、秋のさわやかな気候は湿度が少ないために、体温の発散をうながし、からだの内部での代謝《たいしや》を盛んにし、自然とお腹がすくようになり、食べものがおいしくいただけるのです。甘さやからさなどをくらべてみても、空腹どきには、満腹のときにくらべ、二、三倍も味覚は敏感になっています。このように味覚はからだの状態によって異なるのです。暑いときに食欲がおとろえるのは、暑さのためにからだがまいってしまうのも一つの理由ですが、一面、夏は冬ほど多くのカロリーを必要としないという点もあります。
いずれにしろ、秋の味覚が特別なのは、食べものが栄養に富んでいること、それに私たちの味覚がよくなっているためです。ですから、健康なら、どんな人でも、なにを食べてもおいしく、また、なんでもおいしく食べられるようなら健康になれるわけです。
食欲とともに人間の二大欲望とされる性欲も、秋には盛んになります。「秋がわき」は食欲から転じて、性欲の昂進《こうしん》の意味にも用います。古川柳に、
秋がわきまづ七夕《たなばた》にかわきそめ(柳多留)
という句があり、秋になると間もなく、年に一度の逢瀬を祝う七夕の行事がありますが、人間界もようやく秋がわきの季節にはいって、天上界に負けてなるものかと愛の語らいにはげむ、と星を引き合いに出して「秋がわき」をさりげなく語っています。『万葉集』にも「秋がわき」を大胆|率直《そつちよく》に吐露《とろ》した歌がありますが、次の歌など、その一例といえましょう。
秋の夜の霧立ちわたりおほほしく 夢にぞ見つる妹がすがたを
さわやかな青空が仰げるようになると、八百屋、くだもの屋、魚屋さんの店先には、それぞれ野の幸、山の幸、海の幸が豊富に出回るようになります。どれもこれも食欲をそそり、文字通り味覚の秋になります。秋はまた不思議となにを食べてもおいしい季節です。
「秋のかわきは人につく」——秋になると食欲が増すという意味のことわざです。しゅんの食べものが出回るとともに、夏やせも徐々に回復し、次に来るきびしい冬のための準備に、食欲も旺盛になります。いったい、こうした秋の味覚は、なにに由来するのでしょう。これには二つの理由があげられます。一つは食べもの自体がおいしくなること、もう一つは食べる人間の味覚がよくなることです。
秋には、動物にしろ、植物にしろ、耐乏の冬をひかえて、十分に実り、よく栄養をつけていることは、自然の要求といえます。それ故、くだもの、野菜、穀物、魚、また鳥やけものたちも、みな栄養的に充実しています。それを摂《と》ることができるのですから、おいしいのは当然でしょう。次に、私たち人間の味覚ですが、秋のさわやかな気候は湿度が少ないために、体温の発散をうながし、からだの内部での代謝《たいしや》を盛んにし、自然とお腹がすくようになり、食べものがおいしくいただけるのです。甘さやからさなどをくらべてみても、空腹どきには、満腹のときにくらべ、二、三倍も味覚は敏感になっています。このように味覚はからだの状態によって異なるのです。暑いときに食欲がおとろえるのは、暑さのためにからだがまいってしまうのも一つの理由ですが、一面、夏は冬ほど多くのカロリーを必要としないという点もあります。
いずれにしろ、秋の味覚が特別なのは、食べものが栄養に富んでいること、それに私たちの味覚がよくなっているためです。ですから、健康なら、どんな人でも、なにを食べてもおいしく、また、なんでもおいしく食べられるようなら健康になれるわけです。
食欲とともに人間の二大欲望とされる性欲も、秋には盛んになります。「秋がわき」は食欲から転じて、性欲の昂進《こうしん》の意味にも用います。古川柳に、
秋がわきまづ七夕《たなばた》にかわきそめ(柳多留)
という句があり、秋になると間もなく、年に一度の逢瀬を祝う七夕の行事がありますが、人間界もようやく秋がわきの季節にはいって、天上界に負けてなるものかと愛の語らいにはげむ、と星を引き合いに出して「秋がわき」をさりげなく語っています。『万葉集』にも「秋がわき」を大胆|率直《そつちよく》に吐露《とろ》した歌がありますが、次の歌など、その一例といえましょう。
秋の夜の霧立ちわたりおほほしく 夢にぞ見つる妹がすがたを