同じお米を使った食べものでも、調理法を変えることによって健康な食欲を誘います。ぞうすいなら一合でおなかがいっぱいになるのに、おかゆなら二合は軽くいただけます。
「一合雑炊 二合粥 三合|飯《めし》に 四合|鮨《すし》 五合|餅《もち》なら誰も食う」
三合めしに四合すし、五合もちとなると、これが一食分か、それとも一日分なのか、人により労働の多寡によって、ちがいも出てきますが、調理のしかたを変えることによって、食欲が進むのはたしかです。
今日ではお米は手に入れやすいものになっていますが、戦時中や戦後の食糧難時代、お米はたいへんな貴重品でした。配給されたわずかばかりのお米に大根の葉やかぼちゃ、芋のつる、皮つきのじゃがいもなどを入れ、ぞうすいにしてお米を食い延ばしたものです。一日の米の配給量が二食分しかなかったのですから、こうしたくふうが必要だったのです。
もともとぞうすいは、節米のための補食、冬場の保温食、口のまずい病人のための食べやすい食べもの……といったぐあいに、用途がひろく、おかゆは「京の白粥、大和の茶粥」と言われるぐらいで、関西では今日でもこの食習が受け継がれ、一部では今でも日常食の役割を果たしています。
日本の農民がだれでも一様に、銀めしを食べるようになったのは、せいぜいここ十数年来のことで、それ以前は、むぎ・あわ・ひえ・野菜などを入れた|かてめし《ヽヽヽヽ》(糅飯)が常食でした。銀めしを食べるのは、まず正月と盆と秋の氏神祭の日ぐらいのもので、そのうまさといったら何とも言えぬというので、この日ばかりは、いつもの日より多く炊かなければならなかったと聞きます。病いが重くなって死にそうになると、竹の筒に米を入れて病人の耳元に持っていき、「それ米だよ」といい、振って聞かせるという振米の哀話も、ついこの間のできごとでした。それほど米のめしは貴重なものでした。
すしはスキヤキ・テンプラとともに、海外では日本料理を代表するもののように思われています。主食副食兼用の軽食として、家庭のもてなし料理に重宝がられるばかりでなく、食欲の衰えがちな暑い季節に、つい手を出したくなる「ごはんもの」です。
もちは今日では、正月や亥《い》の子《こ》などの節供《せつく》として、また嫁取りや祭り、新築祝いなどの物日にだけしか搗きませんが、むかしはお八つに、また不時の来客に出す食事として、ふだんから作っておく保存食の一つでした。
贈答品としても古くから用いられ、日蓮の消息文の中にも、「満月のごとくなる|もちゐ《ヽヽヽ》二十枚」などと、その礼状に記されています。
暑さ寒さの季節のちがい、食欲の好不調、不時の来客などの際に、このようにお米を使い分けると、まだまだ日本人の食生活の中で、お米は捨てがたい役割を担《にな》っています。
「一合雑炊 二合粥 三合|飯《めし》に 四合|鮨《すし》 五合|餅《もち》なら誰も食う」
三合めしに四合すし、五合もちとなると、これが一食分か、それとも一日分なのか、人により労働の多寡によって、ちがいも出てきますが、調理のしかたを変えることによって、食欲が進むのはたしかです。
今日ではお米は手に入れやすいものになっていますが、戦時中や戦後の食糧難時代、お米はたいへんな貴重品でした。配給されたわずかばかりのお米に大根の葉やかぼちゃ、芋のつる、皮つきのじゃがいもなどを入れ、ぞうすいにしてお米を食い延ばしたものです。一日の米の配給量が二食分しかなかったのですから、こうしたくふうが必要だったのです。
もともとぞうすいは、節米のための補食、冬場の保温食、口のまずい病人のための食べやすい食べもの……といったぐあいに、用途がひろく、おかゆは「京の白粥、大和の茶粥」と言われるぐらいで、関西では今日でもこの食習が受け継がれ、一部では今でも日常食の役割を果たしています。
日本の農民がだれでも一様に、銀めしを食べるようになったのは、せいぜいここ十数年来のことで、それ以前は、むぎ・あわ・ひえ・野菜などを入れた|かてめし《ヽヽヽヽ》(糅飯)が常食でした。銀めしを食べるのは、まず正月と盆と秋の氏神祭の日ぐらいのもので、そのうまさといったら何とも言えぬというので、この日ばかりは、いつもの日より多く炊かなければならなかったと聞きます。病いが重くなって死にそうになると、竹の筒に米を入れて病人の耳元に持っていき、「それ米だよ」といい、振って聞かせるという振米の哀話も、ついこの間のできごとでした。それほど米のめしは貴重なものでした。
すしはスキヤキ・テンプラとともに、海外では日本料理を代表するもののように思われています。主食副食兼用の軽食として、家庭のもてなし料理に重宝がられるばかりでなく、食欲の衰えがちな暑い季節に、つい手を出したくなる「ごはんもの」です。
もちは今日では、正月や亥《い》の子《こ》などの節供《せつく》として、また嫁取りや祭り、新築祝いなどの物日にだけしか搗きませんが、むかしはお八つに、また不時の来客に出す食事として、ふだんから作っておく保存食の一つでした。
贈答品としても古くから用いられ、日蓮の消息文の中にも、「満月のごとくなる|もちゐ《ヽヽヽ》二十枚」などと、その礼状に記されています。
暑さ寒さの季節のちがい、食欲の好不調、不時の来客などの際に、このようにお米を使い分けると、まだまだ日本人の食生活の中で、お米は捨てがたい役割を担《にな》っています。