一むかし前にもなりましょうか、今は亡きマリリン・モンロー主演の「七年目の浮気」という映画が、日本で公開されました。中年サラリーマンの哀感を喜劇風なタッチで描いた映画ですが、その中で妻子を避暑地に送った主人公が、重い足取りでわが家へ帰ってきます。いつもなら、足音を聞きつけて女房やこどもたちが玄関のドアをあけ、「お帰ンなさい」と笑顔で迎え、奥のほうからは、ほのかにおかずの匂いが流れてくるのに、きょうばかりは家の中は死んだようにシーンと黙りこくっていて、一種いいようのない侘《わび》しさが漂っています。「食べものの匂いもしない……」と、主人公は、思わずひとりごとを洩らします。
事実夕方、家路をたどる亭主族にとって、「今晩のおかずはなんだろう?」と、あれこれ想像をめぐらすのは楽しみの一つ。玄関をあけたとたんに、奥のほうから、温かい、うまそうな匂いが流れてくる。|あたふた《ヽヽヽヽ》と台所から割烹着姿のまま出てきて、「お疲れさま」と、にこやかに迎えてくれる女房の顔——それだけでも、ゆうにお料理三品の値打ちがあるというもの。なにはなくともゴキゲンな女房の顔を見ながらの食事は、料理屋料理にはない温かさと味わいがあります。その女房の顔がどんな風の吹きまわしか、ふくれっ面《つら》だったりしようものなら、たとえ食卓の上に、ところ狭しと料理が並べられていても、トンと食欲は湧きません。
料理が見た目の美しさや味つけのよさだけで満足できるものなら、無器用な手つきでできた家庭料理など、あまりありがたくないでしょうし、友だちの家でふるまわれる細君自慢の手料理なども、第一に恐れ入らざるを得ないでしょう。ところが私たちはこの無器用な手つきで、味もさほど上等とはいえない家庭料理に、料理屋の料理から求め得られないある一つの味を味わうことができるのです。
ズバリ、まごころの味です。季節の野菜のうま煮、煮えばなの|わかめ《ヽヽヽ》のみそ汁に、心からの親しみを感じ、味の上で多少劣る点があっても、なんの不安もなく食べられる気安さに、十分補われてあまりあることは、惣菜料理の背後にひそむ主婦のまごころの味に触れるからでしょう。
料理の味は、このように物の味と、おいしいものを暖かいうちに、早く食べさせてあげようというまごころの味が一つになって完成するもので、それだけにやりがいのある、またこれほどに女房の愛情を思わせるものは、料理以外に見当たりません。
家族そろって食卓をかこみ、「同じ釜の飯」を食べることからくる親愛感、よろこびも悲しみも、日常の食卓をとおして、お互いの心に触れ合う機会が多いものです。楽しい食事は、それだけに、わが家のしあわせにつながるといってもよいでしょう。ゆめゆめおろそかにはできません。
幕末の生活歌人|橘 曙覧《たちばなのあけみ》は「独楽吟」の中で、こんなうたを詠んでいます。
たのしみはまれに魚煮て児等皆が うましうましといひて食ふ時
たのしみは妻子むつまじくうちつどひ 頭ならべて物をくふ時
事実夕方、家路をたどる亭主族にとって、「今晩のおかずはなんだろう?」と、あれこれ想像をめぐらすのは楽しみの一つ。玄関をあけたとたんに、奥のほうから、温かい、うまそうな匂いが流れてくる。|あたふた《ヽヽヽヽ》と台所から割烹着姿のまま出てきて、「お疲れさま」と、にこやかに迎えてくれる女房の顔——それだけでも、ゆうにお料理三品の値打ちがあるというもの。なにはなくともゴキゲンな女房の顔を見ながらの食事は、料理屋料理にはない温かさと味わいがあります。その女房の顔がどんな風の吹きまわしか、ふくれっ面《つら》だったりしようものなら、たとえ食卓の上に、ところ狭しと料理が並べられていても、トンと食欲は湧きません。
料理が見た目の美しさや味つけのよさだけで満足できるものなら、無器用な手つきでできた家庭料理など、あまりありがたくないでしょうし、友だちの家でふるまわれる細君自慢の手料理なども、第一に恐れ入らざるを得ないでしょう。ところが私たちはこの無器用な手つきで、味もさほど上等とはいえない家庭料理に、料理屋の料理から求め得られないある一つの味を味わうことができるのです。
ズバリ、まごころの味です。季節の野菜のうま煮、煮えばなの|わかめ《ヽヽヽ》のみそ汁に、心からの親しみを感じ、味の上で多少劣る点があっても、なんの不安もなく食べられる気安さに、十分補われてあまりあることは、惣菜料理の背後にひそむ主婦のまごころの味に触れるからでしょう。
料理の味は、このように物の味と、おいしいものを暖かいうちに、早く食べさせてあげようというまごころの味が一つになって完成するもので、それだけにやりがいのある、またこれほどに女房の愛情を思わせるものは、料理以外に見当たりません。
家族そろって食卓をかこみ、「同じ釜の飯」を食べることからくる親愛感、よろこびも悲しみも、日常の食卓をとおして、お互いの心に触れ合う機会が多いものです。楽しい食事は、それだけに、わが家のしあわせにつながるといってもよいでしょう。ゆめゆめおろそかにはできません。
幕末の生活歌人|橘 曙覧《たちばなのあけみ》は「独楽吟」の中で、こんなうたを詠んでいます。
たのしみはまれに魚煮て児等皆が うましうましといひて食ふ時
たのしみは妻子むつまじくうちつどひ 頭ならべて物をくふ時
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