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食物ことわざ事典188

时间: 2020-01-15    进入日语论坛
核心提示:食器は料理のきもの 馬子にも衣裳と言いますが、お料理も衣裳次第で、うまくもまずくもなります。お料理の器量をよくするには、
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食器は料理のきもの

 馬子にも衣裳と言いますが、お料理も衣裳次第で、うまくもまずくもなります。お料理の器量をよくするには、それにふさわしい、よい|きもの《ヽヽヽ》が選ばれなくてはなりません。
家に在《あ》れば笥《け》に盛る飯《いい》を草枕
旅にしあれば椎の葉に盛る
『万葉集』の有馬皇子《ありまのみこ》の歌でおわかりのように、大むかしは椎の葉や柏の葉に食べものを載《の》せて食べたといわれますが、すでに椎の葉に載せたということが食器の必要性を示しています。早い話がカレーライスを新聞紙の上に載せて出したとしたら、おそらく今どきだれもこれに手をつけようとするものはいないでしょう。なぜでしょうか。いうまでもなく、新聞紙の上に載せられたカレーライスがいかにも醜いものに思われ、いやらしい連想などが浮かぶからです。カレーライスそのものだけなら、これをきれいな皿に盛ろうとも、新聞紙の上に載せようとも変わらないはずです。それにもかかわらず、美しい皿に盛られたカレーライスは喜んで食べ、新聞紙に載せられたカレーライスは見向きもしないというのは、料理において食器がいかにたいせつな役目をするかを物語って余りあると言えましょう。
かりに衣裳がおんなの生命《いのち》であるとすれば、食器は料理の生命であると言うことができます。食器の上等、下等も分相応に考えなければなりませんが、大きさや深さ浅さ、形、色どりなど、料理や季節に合わして調和をはかることを考える必要があります。つまり、食器は食べものの容れものであると同時に、趣味の|きもの《ヽヽヽ》であるからです。中身さえうまければ容器なんかなんでもよい、容器は食えるものではないからというのは、きものは暑さ寒ささえしのげばよい——という実用面だけを強調する議論と同じで、つまるところ、料理についての無知、無理解から起こる暴論です。もののほんとうの味がわかってくればくるほど、料理にもやかましくなり、料理がやかましくなればなるほど、料理を盛る器に関してもやかましくなるのは当然のことです。
それなのに、現在多くの専門家が、料理を云々しながら、食器について顧みるところなく、お料理本の全集にも、食器の講座がないのは、片手落ちだと思います。これは料理に携わる人に、料理についての見識がないか、料理というものがわかっていないかそのいずれかでしょう。
以上のことがわかれば、それに従って次々にいろいろなことがわかってくるはずです。料理するものの立場からいえば、自分の料理はこういう食器に盛りたいとか、こういう食器を使う場合には、料理はこういうふうにしなければならないとか、器をふくめて全体としての料理を考えますから、見識も広く高くなってきます。また、別な観点からすれば、よい食器のある時代は、よい料理のあった時代、料理の進んでいた時代である——ということができましょう。その意味では現代は料理の進んだ時代とは申せません。よい食器が生まれていないからです。
ふだん使う食器にも分相応、適材適所を常識として、料理と食器をくふうすることは、十分研究してよいことだと私は思います。
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