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八墓村-第二章 疑惑の人(5)

时间: 2022-06-05    进入日语论坛
核心提示:濃こい茶ちゃの尼あま岡山で山陽線から伯はく備び線へ乗り換えて数時間、Nという駅で私たちが汽車をおりたのは、もう午後四時を
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濃こい茶ちゃの尼あま

 

 

岡山で山陽線から伯はく備び線へ乗り換えて数時間、Nという駅で私たちが汽車をおりたのは、もう午後四時を過ぎたところだった。山陽線では二等だったからわりに楽だったが、伯備線には二等がないうえに、たいへんな混みかただったので、汽車をおりたときにはほっとした感じだった。八つ墓村へ行くには、しかし、それからもう一時間バスに乗り、さらにまた半時間步かねばならないのだと聞かされて、正直のところ、私はうんざりせざるを得なかった。

しかし、幸いバスはすいていた。このバスのなかで私は八つ墓村の最初の住人に出会ったのである。

「おや、西屋の若わか御寮人様ごりょうはんじゃありませんか」

このへんの人間特有の、あたりはばからぬ大声で、そう呼びかけながら、美也子のまえに腰をおろしたのは、年ごろ五十前後の、顔も体もゴツゴツといかつい、ちょうどこのあいだ死んだ祖父と同じような体質の男だった。おそらくこれがこの辺の人間のタイプなのだろう。服装まで祖父に似ている。

「おや、吉蔵さん、どちらへ?」

「Nまで用事があってまいりました。いま、かえりでございます。奥さんは神戸からのおかえりで……? 井川のじいさんお気の毒なことをしましたねえ」

「あんたは商売敵がたきがいなくなったのでホッとしたでしょう」

「じょ、冗談いっちゃいけません」

「だってあんたこのあいだ、マヤ先さきをついたとかつかれたとかで、丑松さんと大げんかをしたというじゃないの」

あとで聞いたところによると、吉蔵というのは、祖父と同じ職業の博ばく労ろうだった。八つ墓村には祖父とこの男と二人の博労がいたが、こういう山村では博労も百姓も義理堅くて、一度お得意になると、絶対に出入りをかえぬものである。ところが戦後の紊みだれた秩序はこういう山奥にもしみこんできて、百姓のほうでも自分の勝手で博労をかえるし、博労のほうでも平気で他人のなわ張りを荒らす、これをマヤ先をつくというのである。マヤ先とはおそらく厩先うまやさきすなわち得意先のことであろう。

吉蔵は美也子にいたいところをつかれたらしく、目を白黒させながら、

「奥さん、変なことをいわねえでくだせえまし、私ゃ、そのことで大迷惑をいたしましたよ。警察の旦那にゃきびしいお取り調べをうけるし、村の者にゃ変な眼で見られるし……なにマヤ先をついたのはお互いっこのことだ。こっちばかりが悪いのじゃありません。それを井川のじいさんが、変にからんで出たものだから、ついかっとして……」

「いいわよ、わかってよ。だれもあんたが井川のじいさんを殺したといやあしないわよ。だけどその後村の様子はどう? 何も変わったことありません?」

「そうさねえ。新あら居い先生が、たびたび警察へ呼び出されて、お気の毒でございますよ」

「ああ、新居先生は丑松さんの主治医だったのね。でも、まさか主治医が患者に毒を盛るなんてことないでしょう。そんなことすれば、すぐわかっちまうじゃありませんか。それに新居先生は、丑松さんに恨みがあるわけじゃなし……」

「ええ、だからまあ、参考人というわけでしょうなあ。とにかく新居先生のこさえた薬を、すりかえたやつがあるにちがいない。しかしねえ、奥さん」

と、吉蔵は急に声をひそめて、

「新居先生が殺したわけじゃないにしても、井川のじいさんは、新居先生の薬とまちがえてのんで死んだんでしょう。それでねえ、新居先生の薬をのむと死ぬといいふらすやつがあってねえ、ちかごろじゃ新居先生、だいぶ患者がへったということですよ」

「まあ、意地の悪い。だれがそんなことをいいふらしたのでしょう」

「それがねえ、大きな声じゃいえませんが、久く野の先生らしいんですよ」

「まさか……」

「いや、まさかじゃありませんや。新居先生が疎開してきて以来、久野先生はサッパリですからな」

どこの田舎でも同じことで、村でいちばんいばっているのは医者である。百姓たちは村長よりも小学校の校長先生よりも、医者に対して頭があがらない。全部ではなかろうけれど、村医者のある人々ほど尊大にかまえ、横おう柄へいをきわめるものはない。患者のよりごのみをし、夜中の往診などよほどの分限者でないと出向かない。それでいて、長い習慣からだれもそれを怪しまなかったものである。

ところが終戦前後から日本全国どこへ行っても村の様子が一変した。都会で焼け出された医者は、それぞれ縁故をたどって村へやってきた。それらの疎開医者は、新しい患者を獲得するために、都会仕込みの外交辞令とサービスを惜しげもなくふりまいた。いったい、田舎の人は義理堅いものだが、馬鹿にされるよりも、お世辞のひとつもいわれるほうへなびくのは、人情として当然である。ことに戦後はどこへ行ってもそう義理堅くばかりもしていられないという風潮がみなぎっているし、第一、腰の重い医者よりも、マメに動いてくれる医者のほうをありがたがるのは無理もない。

こうしてどこの村でも、疎開医者がまたたく間に旧来の医者を圧倒してしまったものだが、八つ墓村でもその例に漏れないらしい。博労のマヤ先争いといい、医者の患者争奪戦といい、いかにも村という小天地に起こりそうな確かく執しつを、私はそのとき、少なからず興味をもって聞いたことである。

「いや、久野先生も少しいばりすぎましたからね。因果はめぐるというやつでさあ。田舎で患者をうしなっちゃどうにもなりませんね。町じゃ夜逃げもできましょうが、村じゃそんなわけにもいかない。そうかといっていままでそっくりかえっていたものが、そうにわかにペコペコもできませんしね。小作料は金納だし、薬礼だってせんにゃ米で持っていくやつもあったが、ちかごろじゃ米はヤミで売って、金で払ったほうがとくですからね。だれだって米など持っていくものはありません。そこへもってきてあのとおりたくさんの子持ちでしょう。だから久野さんとこじゃ食べるものにも困るらしく、ちかごろ奥さんが薯いもを作りはじめましたぜ。いや医者の奥さんが百姓をするようになっちゃおしまいでさあ」

吉蔵も久野先生に何かふくむところがあるらしく、しきりに痛快がっていたが、急にまた声をひそめると、

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