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八墓村-第二章 疑惑の人(9)

时间: 2022-06-05    进入日语论坛
核心提示:三さん酸さん図ず屏風びょうぶその晚、私は眠れなかった。神経質な人間のだれでもがそうだが、寝床がかわるとなかなか寝つかれぬ
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三さん酸さん図ず屏風びょうぶ

 

その晚、私は眠れなかった。

神経質な人間のだれでもがそうだが、寝床がかわるとなかなか寝つかれぬものである。長途の旅行に体は綿のように疲れながら、神経のほうは針のようにとがって、私の頭は冴さえかえるばかりであった。

思えばそれも無理はないのだ。つい昨日まで友人の家の四畳半の、それも箪たん笥すだの行こう李りだのを、ごたごたと置きならべた狭い片すみに、小さくなって寝ていた私にとって、十二畳の座敷は広過ぎた。広過ぎてかえって体の置き場のない感じがするのだ。私はいくどもいくども寝床のなかで寝返りをうった。眠ろうとあせればあせるほど、意地悪く頭は冴えかえり、冴えかえった頭のなかを、走馬灯のようにかけめぐるのは、めまぐるしかったその日いちにちの出来事だった。

三宮さんのみや駅での別れ、美しい旅装の美也子、バスで出会った博労の吉蔵、醜い濃茶の尼と村の人々、それからまた二匹の猿のような小梅様と小竹様、──それらの姿や情景がなんの順序も排列もなく、頭のなかに消えては現われ、現われては消えていく。そして、そういう出来事のいちばんおしまいに思い出されるのは、姉の春代からきいた、ちょっと妙な出来事である。

小梅様と小竹様は、さすがに老齢のこととて、対面がおわると自分たちの部屋へひきとった。そのあとで私は風ふ呂ろをもらったが、風呂から出ると姉の春代が、

「明日からは向こうで食べていただきますが、今夜はお客様ですから、ここで食事をしていただきます。西屋の若奥様もつきあってあげてくださいませ」

と、女中のお島と二人がかりでお膳ぜんを運んできた。

「あら、あたしもごちそうになるの」

「どうぞ。何もありませんけれど時分どきですから……遅くなったら若い衆に送らせます」

「そう、じゃ、遠慮なしにちょうだいしていくわ」

と、そんなことから美也子もいっしょに夕飯を食べていくことになったが、私にしてみれば彼女が少しでも長く、そばにいてくれるのがありがたかった。食事がすんでも彼女はすぐにはかえろうとはせず、姉をまじえて三人で、とりとめもない話で時間をつぶした。むろんいちばん多く語ったのは美也子で、彼女は屈託のない調子で、あたりさわりのない話をする。それによって、ともすれば沈みがちな私の心をひき立てると同時に、とかく固くなりがちな、姉と私の仲をくつろがせようとするのだった。しかし、さすがの美也子もしまいには話題がつきてどうかすると黙りこんでしまうことがある。そんなとき私たちのあいだには、ふうっと沈黙が流れこんできたが、そういう潮時を見計らって、私はさりげなく座敷のなかを見回した。

さっき小梅様だか、小竹様だかのいった言葉が、強く私の心にのこっているのだ。私の大伯母のひとりはこういったではないか。

「おまえはこの家のこの座敷で生まれたのだよ。あれからもう二十六年になるが、この座敷はあのときのままにしてある。襖も、屏風も、掛け軸も、それから欄間のあの額も……」

してみれば、かわいそうな私の母も、これらの屏風や襖や掛け軸を、毎日ながめて暮らしたのだろう。そう思うと私の胸には、切ないような懐かしさがこみあげてきて、それらのひとつひとつを見直さずにはいられなかった。

床の間には百衣観音びゃくえかんのんの大きな掛け軸がかかっている。当時の母のつらい、哀れな立場を思うと、母がどのような熱心さで、この観音様におすがりしたかが、わかるような気がする。そういえば私の知っている母は、観音様の大の信者で、いつも床の間に小さい像をおまつりして、朝夕信仰を怠らなかった。

さて床とこ脇わきの違い棚だなをみると、そこの壁にはお能の面がふたつかけてあったが、それはものすごい形相ぎょうそうをした般はん若にゃと猩々しょうじょうで、まるでこの座敷は鬼と仏が同居しているみたいだが、それかあらぬか欄間の額には「鬼手仏心」の四文字。襖の絵は漢画と大和や ま と絵えの手法をとりあわせたような山水だが、いずれも年代がついてくすんでいる。

さて、そのほかにもうひとつ、私の注意をひいたものがあった。それは六曲ろっきょくの屏風だった。屏風のおもてには大きな瓶かめをとりまいて、三人の古代シナ人の姿が、ほとんど人間の大きさくらいに描いてあった。何気なく私がその屏風を見ていると、姉の春代が思い出したようにこんなことをいい出した。

「そうそう、その屏風については、ちかごろ妙なことがあったんですよ」

三人のなかで、いままでいちばん言葉少なくひかえていた姉の春代が、だしぬけにこんなことをいい出したので、私は思わず顔を見直した。

「まあ妙なことってどんなことですの」

美也子も膝を乗り出した。

「それがねえ、……こんなことをいうと、あなたに笑われるかもしれませんけれど、その屏風のなかの人間が抜け出したというんですのよ」

「まあ!」

美也子は思わず眼をみはって、春代の顔を見つめていた。私も彼女の顔と屏風の絵を見くらべながら、

「いったい、この屏風の絵はどういうことを描いてあるのですか。何か故事来歴があるのでしょうね」

「ええ、わたしもよく知りませんが……」

と、春代は頬を染めながら、

「なんでもそれ、三酸図屏風というんですって。そこに描いてある三人は蘇そ東とう坡ばと黄魯直こうろちょくと、金きん山ざん寺じの住持仏印和尚ぶついんおしょうだとかきいております。蘇東坡がある日、友だちの黄魯直を誘うて、仏印和尚を訪ねたところが、和尚さんが喜んで桃とう花か酸さんというのをごちそうした。それをなめて三人が眉をしかめたが、東坡は儒じゅ、黄魯直は道どう、仏印はむろん仏ぶつ門もんですわね。その三人が三様に眉をしかめたが、もとは同じ桃花酸のためである。つまり、儒、道、仏、三教のとくところはそれぞれがちがっていますけれど、帰するところはひとつである……と、いうような意味だときいております」

「まあ、いかにも昔のシナ人の考えそうなことね。しかし春代さま、この絵の人間が抜け出したというのはいったいどういうことですの」

美也子にとっては絵の故事来歴よりも、そのほうがよっぽど興味があるらしかった。むろん、私としても同じことである。

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