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八墓村-第二章 疑惑の人(15)

时间: 2022-06-05    进入日语论坛
核心提示:金田一耕助いま思い出してもゾッとする。そのとき私は、あの薄暗い中二階の裏座敷に、ドス黒い霧のような悪気が、さあーッとみな
(单词翻译:双击或拖选)

金田一耕助

 

 

いま思い出してもゾッとする。そのとき私は、あの薄暗い中二階の裏座敷に、ドス黒い霧のような悪気が、さあーッとみなぎりわたるのを感じた。私は何かしら、身に迫る危険があるような気がして、すぐにもその場から逃げ出したいような衝動にかられた。読者諸君よ、私の臆病おくびょうを笑わば笑え。私にとって、それははじめての経験ではなかったのだ。祖父といい兄といい、私の眼のまえに現われると、やがてつぎの瞬間には、恐ろしいもがき死にをしていったのだ。しかも、その死に方は、祖父のときも兄のときも、全然同じではないか。

毒殺……私の脳裏に、すぐその考えがひらめいたのも無理はないだろう。

しかし、ほかの人たちは案外落ち着いていた。久野の恒おじは、二、三本注射をうったが、やがてあきらめたように首を横にふって、

「御臨終です。あまり興奮なすったので、みずから死期を早めたのですね」

私はびっくりしてその顔を見直した。それからその言葉に、なんの不審も抱かないで、そのまま受け入れている人々をあきれたように見回した。

しかし、私は知っているのだ。御臨終ですと、ごくさりげなくいった恒おじの言葉が、かすかにふるえていたのを。……それからまた、私の視線に気がつくと、狼狽したように顔をそむけたのを。……あの言葉のふるえといい、私に顔を見られたときの狼狽ぶりといい、あれはたしかにただごとではなかった。久野の恒おじはきっと何か知っているのだ。私はこのことを、深く心のなかに彫りつけておこうと考えた。

久野のおじとは反対に、いとこの慎太郎の気持ちは、そのときもまた捕ほ捉そくすることができなかった。兄が苦しみ出したとき、いくらかびっくりしたような表情を見せたが、あとはまた平々淡々として、兄の死に顔を見つめていた。妹の典子も、これまたきょとんとしたような無邪気な眼をみはっていた。

私はよっぽど叫びたかったのだ。言葉がのどまでついて出ていたのだ。

「違います、違います。これはふつうの死に方ではありません。祖父の丑松と同じように、だれかの手にかかって毒殺されたのです」

しかし私は叫ばなかった。のどまでこみあげてきた言葉をやっと飲み下したのだった。

兄の病気が病気だったし、それにそばに医者もついていることだしするので、兄のこの突然の死も、別に問題を起こしそうになかった。遅かれ早かれ、こうなることはみんな知っていたので、家人にも奉公人にも、別にショックを与えたようでもなかった。そのことが私にはなんだか物足りなかったけれど、強いて平地に波は瀾らんをまきおこすこともあるまいと思って、私は黙ってひかえていた。それに、私といえども兄の死をはっきり毒殺と断定する勇気はなかったのだ。肺壊疽の末期には、ああいう死に方をするのかもしれなかった。もし祖父の死を眼前に見ていなかったら、私とても久野おじの言葉をそのまま受け入れたことだろう。

さて、兄のお弔いはその翌日の夕刻執り行なわれることになった。これでお弔いがふたつかち合うことになったわけだ。ひとつは私の携えてきた祖父の丑松の遺骨である。私はこれを井川家へとどけて、そこで改めてお弔いを出す予定だったが、兄の急逝きゅうせいでまだそのことを果たさぬうちに、こちらの不幸をきいて祖母と養子の兼吉夫婦が、向こうのほうから駆けつけてきた。私の祖父には私の母以外に子どもがなかったので、母がああいうことで姿をくらましたのち、甥おいの兼吉というのを養子にして跡を継がさせていたのだ。

私は祖母の浅枝や養子の兼吉と、その日はじめて会ったのだが、この人たちはこの恐ろしい物語に、特に深い関係はないから、ここではあまり触れないでおこう。ただその場で相談ができて、祖父のお弔いも同時にこの家から出そうということになったことだけを、書き留めておけばことが足りるだろう。

双生児の小梅様と小竹様は、かわるがわるこんなことをいった。

「丑松とは鶴子がいなくなって以来、縁が切れたようになっていたが、こんどは家のことで神戸へ行ってもらって、あんな始末になったのだから、こちらでお弔いをするのがほんとうだと思う。それに両方とも、辰弥に施せ主しゅになってもらわなければならないのだから……」

ああ、なんという眼まぐるしさであったろう。私の平板な灰色の人生は、いよいよ大きく変転して、その日いちにち、私は忙殺される思いであった。いろんな人がつぎからつぎへとお悔やみに来た。そしてそのことが、期せずして村の人々に、私を披露する結果になって、だれもかれもお悔やみの言葉がおわると、じろじろとセンサク的な眼で私を見ていった。

美也子も来たし、美也子の義兄の野の村むら荘そう吉きちという人も美也子といっしょにやってきた。

野村家は村の西はずれにあって、私のうちの田治見家とならび称せられる分限者だが、あるじの荘吉という人はいかにもそういう大家のあるじにふさわしい、おっとりとした態度で、鷹おう揚ような口の利き方をする人であった。年は五十前後だろう。しかし、その荘吉氏ですら、美也子が私を紹介すると、一瞬好奇の色をかくしきれなかった。むろん、さすがに、すぐそういう顔色をおしかくしたが。……

さて、それから後は別にいうこともなく、二つのお弔いはつつがなく、その翌日の夕方おわった。祖父の丑松は便宜上火葬にして、遺骨を持ってかえったが、このへんでは一般の習慣として土葬なのである。田治見家の墓地は屋敷の、背後の八つ墓明神のすぐ下にあったが、そこへ新しく穴が掘られると、兄の亡なき骸がらをおさめた柩ひつぎがおろされた。そしてその柩の上に最初の土を落としたのはかくいう私だったのだが、そのとき私は何かしら大切な落としものでもしたように、ひやっとしたのをいまでもハッキリ覚えている。

ところでこのお弔いからかえって、改めて村の人々に仏事の振る舞いをするときになって、美也子が私のそばへやってきた。

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