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八墓村-第三章 八つ墓明神(6)

时间: 2022-06-05    进入日语论坛
核心提示:それはさておき、洪禅さんの毒殺によって、八つ墓村には、また恐怖の旋風がまき起こったのだ。それも無理のないところで、祖父の
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それはさておき、洪禅さんの毒殺によって、八つ墓村には、また恐怖の旋風がまき起こったのだ。それも無理のないところで、祖父の丑松といい、兄の久弥といい、いままでの犠牲者は、いずれも田治見家に縁のふかいひとたちばかりであった。ところがこんどの犠牲者は、菩提寺の住職であるという以外、かくべつの縁もゆかりもない人物である。第一、第二の殺人も、その意味を捕捉することはむずかしいが、第三の殺人にいたっては、てんで意味がわからぬというよりも、無意味な殺人としか考えられなかった。犯人はだれかれの見さかいなく人を殺すことによって満足する、毒殺魔なのであろうか。

それはさておき、急報によって、すぐ村の駐在さんが駆けつけてきた。それから夜に入って、N町から磯いそ川かわ警けい部ぶをはじめ、係官がおおぜいどやどやと押しかけてきた。

この磯川警部というひとは、県の刑事課でも古狸ふるだぬきといわれる老練の人物だそうだが、兄の変死が問題になって以来、その捜査にやってきたので、N町を根拠地として、毎日この村へ出張していたのだ。だから、磯川警部が駆けつけてきたのには、なんの不思議もないことだが、おかしなことには、そのなかに、あのどもり男の金田一耕助がまじっていたことだ。しかも、さらにおかしなことには、その金田一耕助が、一行のなかでかなり幅がきいているらしいことだ。磯川警部でさえが、この男にむかって、かなりていねいな口のききかたをした。さて、取り調べの結果、わかったことはだいたい次のとおりであった。

洪禅さんの殺された毒物は、酢のもののなかに仕込まれていたらしい。そして、その毒を仕込んだ時刻については、だいたい、次の場合が考えられた。

ふたつの本膳をはじめ、二十にちかい会席膳は、お吸い物をのぞいては、みんな座敷でお経があげられているうちに盛りあわされて、しばらく台所にならべられてあった。そして、その台所へは女連中のみならず、男連中も、ちょっとお冷ひ水やをとか、ちょっとコップをかしてくださいとか、入りかわり、立ちかわり顔を出した。だから、洪禅さんの本膳に、毒を仕込む機会はだれにでもあったわけだが、ここにわからないのは、犯人はそのお膳が、洪禅さんに行くことをどうして知っていたのだろう。

本膳はふたつ、ほかは全部、会席膳だから、ふたつのお膳がお寺さまへ行くことは、だれにだって想像できる。したがって、犯人がもし、座敷の客のなかにあったとしても、まちがって、毒を盛ったお膳が、自分にまわってくるようなことは、絶対にないと安心できたであろう。しかし、そのお膳が洪禅さんへ行くか英泉さんへ行くか、これはお釈しゃ迦かさまだって予測することはできなかったであろう。

私が毒のはいったお膳を持ち、姉の春代がもうひとつのお膳を持ったのは、まったくの偶然であった。さらにまた、私が姉の右にたち、その位置のまま座敷へはいっていったために、洪禅さんのまえに、毒のはいったお膳をすえたのも、これまた、まったくの偶然であった。そこにはけっして、姉の意志も、私の意志もはたらいていたわけではない。だから、あのとき、私がもうひとつのお膳に手をかけるか、あるいは姉の左に立つかしていたら、当然、毒殺されるのは、英泉さんでなければならなかったはずなのだ。

そうすると、犯人がねらったのは、洪禅さんでも、英泉さんでも、どちらでもよかったというのだろうか。しかしそんな馬鹿な人殺しというものがあるだろうか。

すべてが気ちがいじみている。万事が調子が狂っている。しかし、この事件の犯人が、けっして馬鹿でも気ちがいでもないことは、あまりにも鮮やかすぎる手ぎわでもわかるではないか。われわれの眼に、この事件が気ちがいじみてうつるのは、犯人の計画が、全然、わかっていないせいではあるまいか。つまり、いままで起こった三つの殺人事件は、犯人の描こうとする、血みどろな殺人円の円周上の、三つの点にすぎないのではあるまいか。そして、犯人がその円を描き終わるまで、われわれは何を目的として、こういう殺人が行なわれるのかわからないのではあるまいか。

それはさておき、その夜、十二畳二間ぶちぬいた犯罪現場では、奇妙な実験が行なわれた。これはどうやら金田一耕助の発案らしく、われわれに、もう一度、さっきの席へ着いてほしいというのであった。幸い、新居先生の当を得た注意で、犯罪の場には少しも手がつけてなかったのだ。死体を解剖のために移動させただけで、お膳は全部、さっきの順序のままならんでいた。私たちはみんなそのお膳についた。

「よっく見てください。まちがいはありませんか。皆さんのまえにあるお膳が、たしかにさっき、あなたがたが手をつけたお膳ですか。よく調べてください」

私たちはみんな自分のまえにあるお膳を調べた。皿さら小こ鉢ばちのなかの食物の減りかたに注意した。そしてだいたいまちがいないということになった。すると金田一耕助は、ひとつひとつ酢のものの鉢を調べまわって、何やら手帳につけはじめた。

わかった、わかった。

金田一耕助はだれが酢のものを食べ、だれが酢のものを食べなかったかを調べているのだ。それはおおかた、つぎのような推理によるものだろう。

本膳と会席膳と区別があるから、犯人はよもや毒入りの膳が自分にまわってくるようなことはあるまいとたかをくくっていただろう。しかし、つぎの場合のような危険を、覚悟しなければならなかったのだ。お膳など盛りあわせる場合、あとになって、あちらのお膳の小鉢と、こちらのお膳の小鉢を、おきかえるようなことはよくやることだ。また、あちらの小鉢から、ちょっと箸はしでつまんで、こちらの小鉢に移すというのもよくある図である。

犯人は毒を仕込んだのちに、だれかがその小鉢をほかのお膳とおきかえたら……あるいはそのなかからちょっとつまんで、ほかのお膳に移したら……だから、犯人は酢のものだけには絶対に箸をつけなかったろう。……

さて金田一耕助が調べた結果を、私はずっと後になって聞かされたのだが、そのとき酢のものに箸をつけていなかったのは、かくいう私、田治見辰弥ただひとりであった!

私は酢のものが大きらいなのだが。……

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