米粒が五つ
お話変って、被害者鳥井青年の友達に、大江蘭堂という奇妙な号を持つ探偵小説家があった。蘭堂なんて老人臭い号に似ず、まだ三十歳の青年作家で、その奇怪なる作風と、小説ばかりではなく実際の犯罪事件にもちょいちょい手出しをする物好きとで、その方面では可成有名な人物であった。
その様な蘭堂であったから、鳥井青年変死の顛末を聞くと、友人の不幸を嘆いたばかりでなく、一歩進んで、この奇怪なる犯罪事件を自から探偵して見たいという野心を抱いているらしく、友達などにもその意嚮を漏らしていた。
彼はまだ独身のアパート住いであったが、恋を知らぬ木念仁ではなかった。知らぬどころか、彼は世にもすばらしい恋人に恵まれていたのだ。
花園京子といえば、新聞を読む程の人は誰でも知っているだろう。公卿華族花園伯爵の令嬢で、華族様の癖にオペラの舞台に立った程の声楽家で、その上、非常な美人であった。その華族令嬢が、何を物好きに貧乏小説家などを恋したのか、恐らく彼女の探偵小説好きがきっかけとなったのであろうが、これを知る者、誰一人蘭堂の果報を羨まぬ者はなかった。
その花園京子が、今日も蘭堂のアパートを訪ねて来た。だが、いつもの彼女とは異って、何となく浮かぬ顔をしている。
「変だね、君どうかしたんじゃない? いやにふさいでいますね」
蘭堂はすぐ様それを気取って尋ねた。
「エエ、少し。何だか訳の分らない妙なことがあったのよ」
京子は洋装の胸から小さな紙包みを取出して、テーブルの上に置いた。
「妙なことって?」
「今朝早く、お友達をお見送りして、東京駅の待合室にいる時、変な男が、突然あたしに話しかけたのよ」
「それで?」
「この紙包みを、ソッとあたしに渡すんじゃありませんか。そして、『お約束の薬です。これを召上れば、あなたの声はもっともっとよくなります』って云ったかと思うと、サッサとどこかへ行ってしまったのです」
「君は、そんな約束なんかしなかったの?」
「エエ、ちっとも覚えがないの」
「で、その男というのは?」
「無論知らない人よ。こう髪を長く、おかっぱみたいにして、黒い服を着た、昔の美術家みたいな風をしていましたわ」
読者諸君は、この京子の言葉によって、誰かを思出しはしませんか。ホラ、ゴリラ男から布引照子の死骸を受取って、気味の悪い化粧をした男。あれがやっぱり、美術家風の黒い服を着た奴でしたね。