鳥井青年
だが、不思議はそれで終らなかった。四五日たったある朝のこと、照子の嘗つての許嫁鳥井純一が、顔色を変えてやって来た。銀行へ出勤の途中、態々寄道をして、頭取の宅を訪れたのだ。
丁度その時庄兵衛氏は習慣の朝湯に入っていたが、急用と聞いて、いそいで湯殿を出て、応接間へ出て来た。
「実に不思議なことが起ったのです。僕は何だか気が変になった様で、じっとしていられなかったものですから、早朝からお騒がせしてしまった訳です」
鳥井は、頭取の顔を見ると、いきなり妙なことを云い出した。日頃沈着な青年にも似合わぬことだ。
「どうしたのだ、まあかけ給え」
庄兵衛氏は、自分も椅子にかけて、卓上の紙巻煙草を取った。
「失礼なことを伺いますが、照子さんは、生前誰かと結婚なすったことがありましょうか」
鳥井は青ざめた顔に幽かな怒気を含んでなじる様に云った。
庄兵衛氏は、びっくりして相手の顔を眺めた。この男は可哀相に、照子を失った悲しさに、気でもふれたのかと疑わないではいられなかった。
「馬鹿なことを云い給え、君がよく知っている通り、照子は少しも汚れのない処女であった。あとにも先にも君がたった一人の許嫁なのだ、なぜそんなことを聞くんだね」
「これをごらん下さい。知らぬ人から、今朝これを郵送して来たのです」
鳥井はセカセカと風呂敷をといて、一枚の四つ切りの大型写真を取出して頭取の目の前につきつけながら、
「こいつは、一体どこの何奴です、こうして写真にまで写っているからには、あなたも無論ご存じの人物でしょう」
彼は目の色を変えて、突かかる様に云うのだ。
布引氏は、その写真を受取って、一目見ると、流石にハッと顔色を変えないではいられなかった。
そこには、高島田に、振袖美々しく着飾った、我娘照子が、見も知らぬ醜い若者と並んで写っているではないか。明かに結婚の記念写真だ。
大銀行家は、それを見つめたまま、暫くはただうめくばかりであったが、やがて、
「これは一体誰が送って来たのだね」
と尋ねた。
「誰だか分りません。差出人の名がないのです」
「フム、わしにもさっぱり訳が分らん、こんな男は見たこともない。又、わしの娘が、いくら酔狂でも、こんなゴリラみたいな醜い奴と結婚などする訳がないじゃないか。いたずらだ。誰かのいたずらに極まっている」