畳の様におだやかな大海原の上、晴れ渡った紺青の空高く、一台の飛行機が、大胆な曲線を描いて飛んでいた。その飛行機の尻尾からモクモクと湧き出す黒煙の帯。これだ。海岸の群集はこの煙幕に見入っているのだ。
逆転、横転、錐揉みと、自由自在に飛び廻る鳥人の妙技につれて、夕立雲の様に毒々しい煙幕は、見る見る紺青の空を、不思議な曲線で塗りつぶして行く。
「海軍飛行機ですか」
群集に近よって尋ねて見ると、
「サア、どこのですかね、全く不意打ちなんですよ。新聞には何も出ていなかったですからね」
という答えだ。
「オヤッ、ごらんなさい。何とすばらしいじゃありませんか。あの飛行機は空に字を描いているんですよ。アレ、アレ」
誰かが突然叫び出した。
成程、よく見ると、大空に一町四方もある巨大なローマ字が、ツー、ツー、クル、クルと、先ず描き出したのは、Kの字。
続いて、クルリ、ツーッと逆転して、モクモクと現われたのはy、それからo、f、u、o……
最後のoを描き終った頃には、初めのKはボヤッと拡がって、形がくずれかけていたけれど、それ丈けに、思わず腋の下から油汗がにじみ出す様な、悪夢の物凄さを以て、頭の上から人を押しつける、空一杯の怪文字、Kyofuo ……キョーフオー……恐怖王!
「恐怖王、恐怖王」
の囁きが群集の間に湧き起ったかと思うと、まるで狂気の津波の様に、たちまち拡がり高まって、海岸全体の不気味な合唱となった。
「恐怖王だ、恐怖王だ、あいつがあの飛行機に乗っているのだ」
だが千メートルもあろうという、高空の悪魔をどうすることが出来よう。
アレヨ、アレヨと騒ぎ立つ海岸の群集を尻目に、悪魔の飛行機は、自から描いた煙幕文字に隠れて、見る見る機影を縮め、漠々たる水天一髪の彼方に消え去ってしまった。