片手美人
京子の居間は、十畳程の洋室で、一方の隅には彫刻のある書きもの机、廻転椅子、書棚等が置かれ、別の隅には、贅沢な化粧台、又別の隅には大きな竪型のピアノが黒く光っていた。
蘭堂は伯爵夫妻とその部屋に這入って行ったが、流石は探偵小説家、まず絨氈に目を注いだ。
焦茶色に黒い模様の、深々と柔かい立派な絨氈だ。彼はその上を歩き廻って、注意深く調べていたが、ある箇所に立止ると、ヒョイと身をかがめて、
「これは何でしょう?」
と、その部分を指で押し試みた。
絨氈が黒っぽいので気附かなかったが、よく見ると成程、ボンヤリと大きなしみが出来ている。
蘭堂は、人差指に唾をつけて、強く絨氈をこすって、その指を電燈にかざして見た。
「ごらんなさい。血です。やっぱりそうだった」
彼は青ざめた顔を、激情に歪めて云った。
「エ、血ですって? では京子はもしや……、アアあなたは何もかも御存知なんでしょう。早くおっしゃって下さい。あれは殺されたのですか」
伯爵夫人が、もう泣き声になって、わめき立てた。
「イヤ、僕もすっかりは知らないのです。ただ……」
「ただ、どうだとおっしゃるのです」
「ただ、ある所で京子さんの右の腕を見たんです。確に見覚のある、お嬢さんの手首を見たんです。肘の所から切落された腕丈けを」
「マア!」
と叫んだ切り、夫人はあとを云う力もなくグッタリと椅子に倒れて、顔を押えてしまった。
「それはどこです。まさか出鱈目じゃないでしょうね」
伯爵も上ずった声である。
「僕の思違いであってくれればいいがと、心も空にお邸へかけつけたのです。併し、この血の様子ではあれはやっぱりそうなんだ。京子さんは『恐怖王』にやられたんだ」
「エ、エ、君は今何と云ったのです。誰にやられたんです」
「恐怖王。御存知でしょう。今世間で騒いでいる殺人鬼恐怖王です。そのお嬢さんの腕には『恐怖王』と入墨がしてあったのです」
その途端、「クウ」という様な奇妙な声がしたかと思うと、伯爵夫人の身体が、バッタリ椅子からくずれ落た。余りの驚きに気を失ったのだ。
そこで女中や書生を呼ぶやら、気つけの洋酒を呑ませるやら、大騒ぎになったが、夫人は間もなく意識を恢復して、やっぱり怖い話を聞きたがった。伯爵が寝室へ行く様に勧めても、娘の生死が分るまではと肯じなかった。