「僕はこう思うのです」
騒ぎが静まると、蘭堂が話しつづけた。
「その京子さんを訪ねて来たロイド眼鏡の男というのが、てっきり恐怖王一味の奴で、この部屋でお嬢さんが声を立てぬ様にして置いて、その右腕を切断し、それを持帰って、どこかで入墨をした上、僕に見せびらかしたのです。奴等の残酷極まる遊戯です。殺人広告です。
しかし、不思議なのは、腕丈けなら人目につかぬ様に持帰る事も出来たでしょうが、京子さんの死骸……イヤ、死骸と極った訳ではないのですが……その京子さんの身体をどこへ仕末したか。これが第一の疑問です。
それから、もう一つは、書生さんがこのドアの外へ来た時、中からお嬢さんの声で、お客さまを送り出す様にと命じられた点です。腕を切とられた重傷者が、そんなあたり前の口を利く筈はないのですからね。
それでは、京子さんが腕を切られたのは、それよりもあとで、今の妙な男はこの事件には関係がないと考えるべきでしょうか。
イヤ、イヤ、恐らくそうではないのです。賊は犯罪の捜査をむつかしくする為に、巧妙なお芝居をやって見せたのです。賊自身がお嬢さんの声色を使ったのです。それについて思い当ることがありますよ。
恐怖王は以前布引照子という娘さんの死骸を棺のまま盗み出したことがあります。そして、その死骸に振袖を着せて婚礼の真似事をさせたのですが、照子さんのお父さんが夜、自動車で外出した時、すれ違った車の窓から死んだ筈の照子さんが顔を出して、生前の通りの声で『お父さま』と声をかけたことがあります。今考えると、あれがやっぱり上手な声色だったのです。ひょっとしたら賊は腹話術というあの手品師の秘術を心得ているのかも知れません」
大江蘭堂は喋りながら、部屋の中をグルグル歩き廻って、そこに置いてある机や鏡台や、その他の家具を眺めたり指で触ったりして調べていたが、最後にピアノの前に立止ると、その蓋を開いて、
「京子さんの美しい声がもう一度聞けるかしら」
と独ごちながら、いたずらの様に、白い鍵盤をポンと叩いて見た。すると、ギーンという様な、少しも余韻のない、変てこな音が聞えた。
「オヤ、どうしたのだ」
もう一度違う鍵盤を叩くと、やっぱりギーンだ。
「ピアノなんか叩いている場合じゃない。大江さん、早速このことを警察に知らせなければ」
伯爵は蘭堂の呑気らしいいたずらを見て癇癪を起した。
「このピアノ痛んでいるんですか。ちっとも音色が出ませんね」
蘭堂はまだ楽器に気をとられている。
「そんなこと、どうだっていいじゃありませんか」
「イヤ、そうでないのです。どうもおかしいですよ。こんな変な音を出すピアノなんて、聞いたことがない」
蘭堂は云いながら、今度は両手の指で、鍵盤の端から端まで、目茶目茶にかきならした。
ギングン、ギングン、ギングン、……