蘭堂は病人を余り昂奮させてはとの気遣いから、京子が引とめるのを押し切て、寝室を辞したが、厳重な防備を見て、これならば如何な怪賊も手の出し様があるまいと、安心して引取った。
アパートに帰ると、又しても喜多川夏子が彼の部屋で待受けていた。
「京子さんをお見舞なすったのでしょ。先生、大丈夫ですか。賊は一言でも口を利いたら命がないって宣言しているじゃありませんか。危くはありませんの?」
彼女は、嫉妬半分、怖がらせを云った。
「イヤ、それは大丈夫ですよ。柔道の出来る書生が三人で、寝ずの番をしているのです。しかも部屋は一番奥まった寝室で、ドアの外には一つも出入口のない安全至極の場所です。窓にはみんな鉄格子がはめてありますしね」
蘭堂が云うと、
「ホホホホホ、そんなことであの恐怖王が閉口すると思っていらっしゃるの。駄目よ。あいつにかかっては、入口があろうとなかろうと、番人がいようといまいと、そんなこと眼中にありやしませんわ。魔法使なんですもの。今夜あたり危くはないこと」
と、益々いやなことを云い出すのだ。
そこで二人は、恐怖王の力量について、盛んに議論をしたものだが、美女というものは、感情が激すれば激する程美しく見えるものである。しかも、夏子の場合は、その上に例の未亡人の色っぽさがついて廻るのだから、相手を悩ますこと一通りでない。
結局夕方まで話込んで、又この次訪問する口実を残して置いて、夏子は帰って行ったが、その夜十二時頃、夏子の言葉が讖を為して、恐ろしい事が起った。
もう床についていた蘭堂は、けたたましい電話のベルに目を覚し、受話器を取ると、相手は出し抜けに、
「大江君、すぐ花園京子さんの所へ行って見給え。そして、君の敵がどんなに正確に約束を守るかを知り給え。君はよもや京子さんが握っていた赤鉛筆の警告状を忘れはしまい。サア、今すぐ行って見給え」
と、一人で喋りつづけて、こちらの返事も聞かず電話を切てしまった。
決してただのいたずらではない。京子の身の上に何か起ったのだ。
蘭堂は直様外出の用意をして、花園伯爵邸へかけつけた。途中で、ふと、これが賊の手ではないか。何かしら陥穽が用意されているのではないかと考えたが、そんなことを顧慮している余裕はなかった。ただ京子の安否が息苦しい程気遣われた。
行って見ると、伯爵邸はもう寝静まっていた。伯爵は旅行中なので夫人を起して貰って電話の次第を話すと、夫人は、
「娘はよくやすんでいます。わたし先刻見廻って来たばかりですの」
と、けげんらしい顔つきだ。
では、やっぱりただのおどかしに過ぎなかったのかと、一応は胸なで卸したが、併し、念の為にと云うので、夫人と一緒に、もう一度寝室へ行って見ることにした。
部屋の入口にがんばっている書生に尋ねると、これも別状ないとの答えだ。