窓の鉄格子は別状なく、床板や天井にも何等怪しむべき点はなかった。
「誰もここを出なかったとすれば、曲者はまだ部屋の中にいるのだ。君達探してくれ給え」
だが、探せと云って、この上どこを探せばよいのだ。ベッドの下は見通しだし、外には人間一人隠れる様な箇所は一つもない。書生達はあっけにとられて蘭堂の顔を見た。
蘭堂も、我と我が言葉に苦笑しながら、併しあきらめられぬと見えて、部屋の中をアチコチと歩き廻った。歩き廻っているうちに、心の平調を失っていた為か、絨氈の端につまずいて、よろよろとよろめき、そこの壁にはめ込みになっている金庫の扉に倒れかかった。
すると、妙なことに、金庫の扉がしっかり閉めてなかったのか、ピチッと幽かな音をたてて、ほんの少しばかり動いた様な気がした。
伯爵は盗難の用心の為に、寝室の中に金庫を備えていたのだ。併しどこの家でも金庫はいつも密閉されているものだ。その上、符号を知らねば開くことも出来ないのだから、賊を探す場合にも、金庫丈けは度外視していた。けれど、その扉が本当に閉っていなかったとすると、賊め、京子さんを殺した上に、お金まで盗んで行ったのかしら。
「奥さん、この金庫は閉めてなかったのですか」
慌しく尋ねると、娘の死骸にとりついて泣き入っていた夫人が、やっと顔を上げて、
「イイエ、主人がしっかり閉めて置いた筈です。それに主人の外には合言葉を知りませんので、開く筈はありませんが……」
と不思議相に答えた。
「それがどうも本当にしまっていない様なのです。開けて見ても構いませんか」
「エエ、どうか」
夫人の許しを得て、蘭堂は扉の引手に指をかけた。そして、ちょっとそれを開きかけたかと思うと、ハッとした様に、又ピッシャリ閉めてしまった。
「どうなすったのです」
蘭堂の表情が余り異様だったので、夫人が驚いて尋ねた。
「ハハハハハ、奥さんつかまえましたよ。もう逃しっこはありません。曲者はこの金庫の中に隠れているのです。今扉を開こうとすると、妙な手ごたえがあったのです。厚い鉄板の中で、蠢いているものを感じたのです」
それと聞くと、二人の書生は、身構えをして金庫に近づき、その扉を開こうとした。
「イヤ、待ち給え。別に急いで開くことはないよ。先ず警察へ電話をかけるんだ。そして、ちゃんと捕縛の用意をして置いてからでもおそくはないよ。もう袋の鼠なんだから」
蘭堂は勝ちほこって、両手をこすりながら云った。
「それにしても、金庫とは妙な隠れ場所を選んだものだね。奴さん、君達が見張りをする以前にこの部屋へ忍び込み、金庫に隠れて時機の来るのを待っていたのだよ。それにしても、空気抜きの為に隙間の作ってあった扉を、今僕が閉め切ってしまったから奴さん、その内に息苦しくなって飛び出して来るぜ。見ていたまえ」
警察へは早速電話がかけられた。書生達は棒切れや細引を用意して、金庫の前に待ち構えた。
五分、十分、十五分、息苦しい時が遅々として進んだ。
と、案の定、金庫の中にゴソゴソと妙な物音がしたかと思うと、いきなり扉がゆるぎ出し、内部から、パッと押しあけられた。
「ワッ」
という様なえたいの知れぬ叫声が起った。賊はとうとう我慢し切れなくなって、自から敵中に躍り出したのだ。