イヤ、どうもそうではなさそうだ。ただの人形泥棒が、あんなに死にもの狂いに逃出すのも変だし、あれ程頑強に抵抗する訳もない。その上、こいつの顔が気に食わぬ。話に聞いているゴリラ男の人相とそっくりだ。
そこで、K刑事は、いずれにもせ、何かの罪人には相違ないのだから、兎に角、その男を警視庁の留置室へブチ込んで、上役の意見を聞くことに腹を極めた。
さて、翌朝になって、花園伯爵家の書生を呼出して、首実検をさせて見ると、果せるかな。
「こいつです。一昨夜の賊はこいつに相違ありません」
という答えだ。その上、同じ書生の証言によって、例のマネキン人形に着せてあったのは、令嬢京子さんが当夜着ていた洋服と寸分違わないことまで判明した。
洋服の襟の裏に、京子さんの持物であることを示すイニシアルが縫い込んであったのだから間違いはない。
愈々分らなくなってきた。ゴリラ男は一体京子さんの死骸をどこへ隠してしまったのだろう。又、何ぜマネキン人形なんかに、その着物を着せて持ち歩いていたのだろう。何だか狐につままれた様な、途方もない話である。
警視庁では、K刑事の上役の捜査係長が取調を担当して、終日ゴリラ男と根比べをして見たが、結局何の得る所もなかった。
ゴリラ男は、何を尋ねても、ろくろく返事もせず、返事をすれば出鱈目ばかり云っている。仕末におえぬのだ。
京子の死体をどこに隠したか。マネキン人形は何の目的でどこから盗み出したか。彼の首領の「恐怖王」とは一体何者であるか。其他様々の訊問に対して、何一つ満足な答えを得ることは出来なかった。
イヤ、そればかりではない。段々訊問を続けている内に、実に恐ろしいことが起った。係長が業をにやして、賊の頬をなぐったのがいけなかった。それまでは、ろくな答えはせぬにもせよ、兎も角おとなしく応対していたゴリラ男が、その一撃に腹を立てて、俄かにあばれ出したのだ。
彼は、ギャッという様な、不思議な叫び声を発しながら、歯をむき出して、本物のゴリラそっくりの恐ろしい相好になって、係長に飛かかって来た。係長はすんでのことに、この猛獣の為に食い殺される所であった。イヤ、決して誇張ではない。あとになって、実際ゴリラ男の為に噛みつかれた巡査さえあったのだから。
彼の昂奮は仲々静まらなかった。数日の間あばれ続けた。警官達の折檻が加われば加わる程、彼の兇暴はつのって行った。そして、とうとう、一巡査が彼の牙にかかって、半死半生の目に逢う様な椿事を惹き起すことになった。
人々は、この男が、人類に属するか、獣類に属するかを疑わねばならなかった。猿にしては人間の肌を持ち人語を解するのが変であった。併し、人間にしては、余りにも力強く兇暴であった。
遂には、この超人の為に、警視庁の地下室に、動物園の檻が運び込まれた。猛獣はその檻にとじこめられ、その中で訊問を受けることになった。実に前代未聞の椿事と云わねばならぬ。
だが、それは後のお話。我々はゴリラ男が捕縛された翌日、Dという大百貨店内に起った、奇々怪々の出来事について語らねばならぬ。