怪画家
大江蘭堂は、美しき未亡人喜多川夏子と共に、D百貨店花嫁人形の怪異をあばいた翌日、彼のアパートの寝台で、お昼頃まで朝寝坊をした。前夜花園家で京子のお通夜があったからだ。
顔を洗って着物を着換た所へ、書斎の方のドアをノックするものがあった。来客である。彼は寝室を出て、書斎のドアを開いた。
「ごめん下さい、大江さんのお部屋はこちらですか」
廊下に見知らぬ男が立っていた。
黒の背広に黒のネクタイ、大きな黒眼鏡をかけて、黒天鵞絨のソフト帽を冠っている。イヤに色の黒い小柄な男だ、帽子の下にフサフサと長髪が垂れ、鼻の下に濃い口髭がある。洋画家とでも云った風体。
「僕、大江ですが……」
蘭堂はこの男を全く見知らなかったので、変な顔をして答えた。
だが、読者諸君はご存じだ。この小柄な長髪の男こそ、ゴリラ男の首領、――恐らくは「恐怖王」その人なのだ。
このお話の初めの所で、ゴリラ男が運転手に化けて、布引照子の棺桶を盗んで来た時、例の空屋に待ち受けていて、死骸の顔に化粧をした不思議な人物、あの男だ。あの男が、大胆不敵にも大江蘭堂を訪ねて来たのだ。
「初めてお目にかかります。僕黒瀬というものです。少しお話したいことがありまして」
怪人物が、優しい作り声で名を名乗った。無論出鱈目に極っている。
「どういうご用でしょう」
蘭堂はうさんらしく相手を見上げ見おろしている。
「アノ、実は恐怖王の一件について……」
黒瀬と名乗る小男は、声を低くして、物々しく云った。
「恐怖王」と聞いては、逢わぬ訳には行かぬ。蘭堂は早速黒瀬を請じ入れた。
「ゴリラは白状したでしょうか。新聞にはそのことが何も出ていませんが」
怪人物は椅子にかけると、何の前置きもなく初めた。
「何も云わないのです。共犯者のことも云わないし、自分の名前さえ白状しないのです。ただ、野獣の様にあばれ廻るばかりで、手におえないのです。とうとう、警察でも持て余して、動物を入れる檻の中へとじこめたということです」
蘭堂は聞き知っているままを答えた。
「そんなにあばれるんですか。あいつが」
「本当のゴリラみたいに、食いついたり、引かいたりするんだそうです。巡査が腕に食いつかれて、ひどい怪我をしたということです」
「そうですか、じゃ、やっぱりあいつかも知れない」
黒瀬は思わせぶりに云った。
「エ、あいつとおっしゃると? あなたはあのゴリラについて何か御存じなのですか」
蘭堂は聞き返さないではいられなかった。
「エエ、お話の様子では、どうも僕の知っている奴らしいのです。新聞の写真を見て、あんまり似ているものだから、若しやと思って、お伺いしたのです。あなたがこの事件に関係していらっしゃることはよく知っていましたし、それに僕はあなたの小説の愛読者だものですから、警察よりはこちらへ御伺いする気になったのです」