記者の知らせで、波越氏はその老車夫を邸内に呼んで、猶詳しく取調べたが、それは恐らく七尺前後の大男であったこと、服装はフワフワした黒いマント様のもので、顔が白く見えなかったのは、多分黒い布で覆面していたのであろう。手に大きな荷物を持っていたかどうかは、気がつかなかった。等の事柄が判明した以上には、何も分らなんだ。
だが、手型にせよ、暗中の大入道にせよ、凡て曖昧模糊たる怪談ばなしか或は夢物語以上の確実性を持ったものではなく、実際的な当局者としては、そんな外部からの怪物を信じる前に、凡ての戸締りが厳重に出来ていた点に基き、先ず一応邸内の召使達に疑いの目を向けたのは、誠に無理もない事であった。
で、書生、婆や、二人の女中、自動車運転手、助手の六人が再三厳重な質問を受けて各自の荷物や行李の中味まで検査されたが、一人として言動不審のものもなく、又所持品の中から問題のダイヤモンドも現われて来ず、結局うやむやに終ってしまった。
この犯罪は単なる物取りの仕業としては、殺害方法の残虐なこと、死体の首の紛失していることなど、腑に落ちぬ点がある。殺害こそ主たる目的であって、ダイヤモンドの盗難は、ただ行きがけの駄賃に過ぎないのであろうと、誰しも考えた。では、何故の殺害であるか。恐らくは生前の福田氏に深い恨みを抱くものの所業に相違ない。
だが、被害者の実兄である玉村氏は、弟はそんな恨みを受ける様な人物でない。殊に、七尺近い大男などには、直接にも間接にも知合いはない筈だと断言し、長年の召使の婆やなども、この玉村氏の言葉を裏書きした。
流石戦場往来の古つわもの波越鬼刑事も、嘗つてこの様な幻妙不可思議な事件に出くわしたことがなかった。誰が殺したか、何ぜ殺したか、何ぜ首丈けを切断して持去ったか、何の必要があって、横笛を吹鳴らしたり野菊の花を撒いたりしたか、どんな方法で密閉された屋内に忍込み、更らに密閉された寝室へ入ることが出来たか。又そこからどうして逃出したか。凡て凡て真暗である。全く想像の下し様もないのである。しかも僅かに分っている手掛りと云えば、怪談か夢物語の外のものではないのだ。
「果して、この事件は明智小五郎の領分だわい」
波越氏は私にそう考えた。で、彼はそのまま警視庁に帰ると夜の明け切るのを待って、何はさて置き、先ずS湖畔の明智の宿へ電話をかけた。早く帰京する様に催促する為だ。
ところが、電話が通じて、ホテルの支配人の話を聞くと、彼はアッと仰天してしまった。明智は間違いなく昨日予定の列車で帰京したという。しかも上野駅に出迎えた福田邸の自動車は空っぽで帰って来たではないか。アア、名探偵はS駅と上野駅の間で、煙の如く消失せてしまったのだ。列車内でか、上野駅のプラットフォームでか。何れにもせよ、彼は賊の罠に陥り自由を奪われてしまったものに相違ない。ひょっとしたら、それ以上の危害をさえ蒙っているかも知れぬ。
警視庁刑事部は、ただこの一事件の為に色めき立った。刑事部長も、各課の首脳者も、総監さえもが、この怪賊のことの外は何も考えなかった。殆ど無材料ながら、兎も角も出来る丈けの捜査方法が講じられたが、その一日は空しく過ぎた。そして次の十九日、即ち犯罪の行われた翌々朝、狼狽した当局者の横面をはり飛ばす様に、又しても、前代未聞の椿事が突発したのである。