何と云う大胆不敵。若し文代の顔を見覚えているものがあったらどうするのだ。併し、考えて見ると、文代が怪賊の娘だと知っている人は、明智小五郎の外には、この世に一人もいないのだ。その明智小五郎は死んでしまった。そこで一見無謀に見える賊の手品興行も、実は安全至極な一種の隠れ簑に過ぎなかった。
そうとも知らぬ二郎の前に、幾幕目かの緞帳が捲き上げられた。
背景は一面の黒天鵞絨、舞台も客席も真暗になって、スポットライトの様な、青白い光線が、舞台の一箇所を僅かに照らしている中に、たった一つ、玉座の様に立派な椅子が置いてあるばかりだ。そこへ、燕尾服の説明者が現われて、前口上を述べる。
「ここに演じまするは、当興行第一の呼び物、摩訶不思議の大魔術、座長欧米漫遊の節習い覚えましたる、美人解体術でございます。あれなる椅子に婦人をかけさせ、座長自ら剣を執って、首は首、手は手、足は足と、切断致し、バラバラになった五体を組み合わせて、再び元の婦人を作り上げる、一度死にました婦人が、立上ってニッコリ笑いまするという、名づけまして、美人解体の大魔術にござります」
説明者が引込むと、二郎には分らぬけれど、賊の娘の文代が、洋服美々しく着飾って現われる。続いて、例の道化姿の座長が、手に青竜刀の様な大ダンビラを提げて出て来る。
挨拶がすむと、文代は正面の椅子に腰かける。座長と二人の助手が、その前に立ちふさがって、文代の着物をはぎ取ってしまう。パッと飛びのく彼等のうしろに、現われた姿は、見るも恥かしい、赤はだかの若い娘だ。全身をぐるぐる捲きに縛られた上に、顔全体を隠す様な、巾の広い布の目隠しをされ、猿轡さえはめられている。
云うまでもなく、この三人がかりで、娘の姿を隠す様にして、着物をぬがせるのが、トリックで、その間に、椅子がクルリと廻転して、娘に似せた裸体人形が正面に現われ、本物の娘は、黒天絨鵞の[#「黒天絨鵞の」はママ]うしろへ姿を消してしまうのだ。
そうとは知りながらも、現われ出でた裸体人形の、余りに見事な細工に、二郎は我目を疑わないではいられなかった。文楽の操り人形が、人形の癖に息使いをするのと同じに、この等身大の手品人形も、確かに呼吸をしている。青白いスポットライトが震えているのか、それとも、人形の胸が脈打っているのか、恐らくは幻覚であろうけど、ふっくらとした、二つの乳房が、ムクムクと動く様にさえ見えるのだ。
二郎は、両眼がボーッとして来る程も、裸体人形を見つめていた。見つめている内に、ムラムラと恐ろしい想像が湧上って来る。若しや、あれは本当の人間ではないかしら、あの笑いの面みたいな顔をした不気味な道化師は、何喰わぬ顔で、毎日毎日、一人ずつ生きた娘を殺しているのではあるまいか。
そればかりではない。あの人形の身体は、腿の線、乳のふくらみ、頸から顎へかけての特徴がどうも今見るのが初めてではない。どっかで見た様な、と思うと、その人形が、益々誰やらに似て来るのだ。
「アア、俺はまだ悪夢の続きを見ているのかしら」
二郎はともすれば、そんな気持になる。そして、一寸気を許すと、眩暈の様に、青や赤の風船玉みたいな物が、目の前を、滅多やたらに飛び違う。
さて、愈々美人解体が始まった。笑の面の道化師は、滑稽な程物々しい大ダンビラを、真向にふりかぶって、ヤッとかけ声諸共、裸体人形の腿に打ちおろした。パッと上る真赤な噴水。コロコロと舞台前方に転がり出す美人の片足。猿轡の中から、幽かに漏れる悲痛なうめき声。
人形がうめく筈はない。きっと黒幕のうしろで誰かが声丈け真似ているのだとは思いながら、二郎は、そのうめき声を聞くと、ハッと飛び上る程、驚かないではいられなかった。アア、やっと分った。あの身体、あの声、何から何まで、裸体人形は、花園洋子に生き写しなのだ。
已に両足を切落したダンビラが、右腕に及ぼうとした時、二郎は我を忘れて、座席を立上ると、いきなり花道へ飛上り相にしたが、ハッと気がついて、やっとのことで自から制した。
だが、この余りにも残虐なる魔術を見て、気が変になったのは二郎丈けではなかった。見物の婦人の多くは、悲鳴を上げて顔に手を当てた。中には脳貧血を起しそうになって、席を立った者もある。