ダイヤモンド
玉村商店宝石部の第一等の得意先に、牛原耕造氏という金満家があった。二年程前、アメリカから帰った、謂わば成金紳士で、社交界には余り名を知られていないが、一種の宝石道楽で、この二三ヶ月の間に玉村商店から買上げた額は、到底由緒正しい貴族富豪などの及ぶ所ではなかった。
買上げた宝石を、誰に与えるのか、夫人も子供もない全くの独り者で、小石川区内の、もと旗本の邸だという、古い大きな家を買求めて、数人の召使と共に住んでいた。
アメリカ式な、無造作な人物で、自分で自分の自動車を操縦して、よく玉村商店へ遊びに来たが、話し好きで、どことなく愛嬌があったので、主人の玉村氏ともじき懇意を結び、お互に訪問し合う程の間柄であった。
前章の出来事があってから、約一ヶ月の後、年を越して一月の終りに近いある日のこと、玉村氏は、一郎と二郎と妙子の三人の子供を連れて、牛原氏の晩餐会に招かれた。
約束はもう二三ヶ月も以前から出来ていたのだけれど、得二郎氏変死以来引続く凶事に、晩餐会どころではなく、長い間延び延びになっていたのが、この一月程、何の変事も起らず、流石の悪魔も退散したかと思われる程無事な日が続いたので、漸く約束を果す運びになったのである。
併し、明智小五郎の兼ねての注意に基き、玉村氏は、この何の危険もない晩餐会にも、屈強の書生数名を、護衛として同伴することを忘れなかった。
約束の午後六時、物々しい二台の自動車が、小石川の淋しい屋敷町にある、牛原氏邸の玄関に横づけになった。
上機嫌のニコニコ顔で、召使と共に出迎いをした牛原氏は、玉村氏の一行四人を、奥の客間へと招じた。同伴の書生達は、別間に酒肴の用意が出来ているというので、その方へ連られて行った。
客間は、主人の例の無雑作で、畳の上に絨毯を敷き、椅子テーブルを並べて、洋室らしくしつらえたもので、贅沢な洋風家具と、床の間のある天井の低い座敷とが、妙にチグハグで、明治初年の錦絵などにある、西洋間という感じがした。
中央の大テーブルには、已に主客五人分の食事が用意されてあった。
「サア、どうかおかけ下さい。ご馳走は何もありませんが、今晩は、料理よりも、妙子さんのピアノと、それから、お約束の私の秘蔵のダイヤモンドをお目にかけるのが、ご馳走です」
牛原氏は愛想よく振舞った。
玉村氏が今晩の招待に応じた第一の理由は、この牛原氏自慢の宝石を見る為であった。それは最近ある外国人から手に入れたもので、話に聞いただけでも、非常に珍らしい石であることが想像された。是非一度拝見したいと云うと、それでは晩餐会にお出でなさい。必ずお見せしますと、とうとう今晩引ぱり出されることになったのだ。
子供達を同行することは、一応辞退したけれど、牛原氏が承知しなかったし、そればかりでなく、暫く消息を絶ってはいるが、例の復讐鬼がいつ魔手を伸ばさぬとも限らぬので、一家の者が少しでも離れ離れになることを避ける為に、かくは四人一緒に出かけて来たのである。
牛原氏が一人舞台で、みんなを笑わせたり、謹聴させたりしている内に、食事は終った。
「それでは、例のダイヤモンドをお目にかけましょう」
食卓の白布が取除けられると、牛原氏は立上って別室に退いたが、間もなく、天鵞絨張りの小函を持って帰って来た。
「これです。一つお目利きが願い度いものです」
待兼ねていた玉村氏は、直様その小函を受取って蓋を開いた。
五つの頭が、四方から小函の上に集る。
電燈の光を受けて、ギラギラと、火の様に燃え輝くそら豆大の見事な宝石。古風なロゼット型の十カラット以上の品だ。
「マア、美しい」
妙子が第一番に感嘆の叫び声を上げた。
「すてきだ」「見事なものだ」「すばらしいダイヤだ」と誰も彼も讃美を惜しまなかった。
だが、流石専門家の玉村氏は、石に見入ったまま、容易に口を開こうとはせぬ。
「如何です。玉村さん、一万円は買いかぶりではありますまいか」
「買いかぶりどころか、非常な掘出しものです。その倍以上の値打ちは確かに……」
と云いかけて、玉村氏はふと口をつぐんだ。指でつまみ上げていた石が、ポロリと卓上に落ちた。彼は何かしら非常な驚きにうたれた様子だ。
「玉村さん、どうなすった。あなたの顔は真青ですよ」
牛原氏がびっくりして尋ねた。
「私は、この石を知っています。確かに見覚えがあります。あなたは何者から、これをお買いになりました」
「アメリカの商人です。今は本国へ帰っている男です」
「その人は、本国から持って来たのではありますまいね。日本で手に入れたものでしょうね」
「サア、本人は本国から持って来た様に云ってましたが」
「それは嘘です。裏に肉眼で見えない程の瑕があります。同じ瑕の石が二つある筈がありません。これは確かに盗んだものです」
「エ、なんですって? これが贓品だとおっしゃるのですか」
「そうです。その宝石には、殺人罪さえ伴っているのです」
「いつ、どこで、誰が盗まれたのです」
「昨年の十一月、私の弟が盗まれました」
「それじゃ、あの獄門舟の惨殺事件の折にですか」
牛原氏は、非常な驚きにうたれて叫んだ。
「そうです。福田得二郎が、あの魔術師と呼ばれる兇賊の為に惨殺された時、ロゼット型のダイヤモンドが紛失したことは、当時の新聞にも出ました。その品は、私の店の番頭が、フランスの同業者から買って帰ったもので、それを弟の得二郎が懇望するので譲ってやったのでした。牛原さん。これは今度の犯人を探し出す為には、大変な手掛りです。その本国へ帰ったアメリカ人が、誰から譲り受けたかという事が、分らないものでしょうか」
「そうでしたか。これがあの時のダイヤでしたか。よろしい、探って見ましょう。本人は国へ帰りましたが、親しくしていた友人がいる筈です。明日、早速その男を訪ねて、訊して見ましょう」
一しきり、その宝石が巡り巡って、牛原氏の手に入った奇縁について、驚きの言葉が取交わされた。
「イヤ、もうその話は止しにしましょう。私が必ず元の譲り主を探し出してお目にかけますから御安心なさい。それはそれとして、今晩は折角こうして御出でを願ったのですから、一つ愉快にやろうじゃありませんか。妙子さんのピアノが、是非伺い度いものですね」
牛原氏は話題を転じて、白けた一座を明るくしようと努めた。
だが、妙子にしては、二度も賊の為に恐ろしい目にあった記憶が去りやらず、不気味な宝石を見ては、猶更らピアノなどに向う気持にはなれぬらしく、打ち沈んで辞退するばかりだ。
「ハハハハハ、いやにしめっぽくなってしまった。こいつはいけませんね。それでは、一つ交換条件を持出しましょう。私はね、この頃十六ミリの小型活動写真に凝っているのです。自分で脚本を作って、書生などを役者にして、お芝居を撮ったのがあるのです。一つそいつをお目にかけましょう。その代り映画を御覧になったあとで、きっとピアノを聞かせて下さるのですよ。よござんすか」
小型映画、しかも牛原氏自作の映画劇とは初耳であった。三人の兄妹は勿論、父玉村氏さえ、ちょっと興味を感じて、流行の小型映画というものについて、色々質問を発した位であった。