魔術師の激怒
さてそれからどんなことがあったか、暫くして、賊の本船に文代と三次とが帰りついたところを見ると、我が明智小五郎は、残念ながら三次の為に敗を取ったものと見える。それとも、態と一先ずこの二人を本船に帰して、おもむろに怪賊逮捕の策略をめぐらしているのかも知れない。
お話変って、妙子さんをさらって、本船に戻った魔術師の奥村源造は、すばらしく上機嫌であった。彼は警官隊が玉村父子救助に駈けつける以前、已に例の旗本屋敷を立去っていたので、あの様な騒ぎがあったことを少しも知らなかった。善太郎氏も、一郎も、二郎も、穴蔵の濁水におぼれてしまったものと信じ切っていた。
あの厳重な穴蔵、妙子をつれ出した抜け穴は、誰も気づく筈はないし、仮令気づいた所で、これも外から厳重に締りをして置いたから、破れるものではない。親子三人は、天変地異でも起らぬ限り、死の運命はまぬがれぬ。その上若し救助者が飛込んで来ても、穴蔵の降り口には、例のピストルの案山子がしつらえてある。万に一つも失敗はない筈だ。と、彼が安心し切っていたのも、決して無理ではなかった。
彼は部下を集めて、船中の酒盛りを始めた。
「みんな喜んでくれ。俺はとうとう完全に念願を果したのだ。あいつの一家をみなごろしにしてしまったのだ。サア、充分呑んでくれ給え。あすの朝、もう一度上陸して今夜の仕事の結果を確めたら、我々の仕事はおしまいだ。どこか遠くの海岸へ逃げて、そこで解散だ。諸君にはタンマリお礼をする。一生困らぬ丈けのことはする積りだ。そして、俺は今夜盗み出して来た玉村の娘と一緒に、外国へ高飛びだ。ハハハハハハハ、愉快愉快、俺れはやっと重荷をおろした。生れてからこんな嬉しい気持は初めてだ」
源造は一人で喋り、一人で飲んだ。
シャンパン酒が、次から次と、ポンポン景気のよい音を立てた。
部下の者共も、有頂天になっていた。彼等は玉村一家を恨む訳ではなく、そこの人達がみなごろしになったからとて、別段嬉しいこともなかったが、一生困らぬお礼の金が有難かった。酒もまわらぬ内に、目先にチラつく札束に酔っぱらっていた。
彼等は深い事情は何も知らなかった。ただ夥しい礼金に目がくれて、奥村源造を首領と仰いでいるに過ぎない。金の為ならどんな悪事でも平気にやってのける、前科者ばかりであった。
段々酔が廻って、ドラ声をはり上げて歌うもの、洋服姿で変な踊りを始めるもの、場所は海岸離れた船の中、どんなに騒ごうがあばれようが、何の気兼ねもないのだ。
文代と三次が帰って来たのは、丁度その騒ぎの最中であった。
「かしら、文ちゃんが帰って来ましたぜ」
部下の一人が這入って来て報告した。
「文代が?」
今まで笑い興じていた源造の顔が、キュッと不快らしくひん曲った。事毎に仕事の邪魔立てをする文代が、憎くて仕様がないのだ。
「ここへ連れて来い。少し言い聞かせることがある。みんな、暫くの間別の部屋で飲んでいてくれ」
「かしら、文ちゃんを折檻するのはよしたらどうです。目出度い日だ。勘弁しておやりなさい」
部下の一人がとりなし顔に云った。彼等は皆美しい文代に好意を寄せていた。それよりも、あの娘をここへ呼んで、皆にお酌でもさせた方がいい。と云いたげな面持である。
「いいから、暫くあっちへ行っててくれ。何も折檻なんかしやしない。ちょっとないしょの話があるんだ」
酔っぱらった首領の真赤な額に、蚯蚓の様な静脉がふくれ上って、血走った目がギロリと光った。
それを見ると、一同縮み上って、ゾロゾロと別室へ退却した。彼等は、首領の云い出したらあとへは引かぬ、依怙地な気性をよく呑みこんでいたからだ。
引違いに、たった一人で這入って来たのは、源造にとっては一人娘の文代である。
「お前、どこへ行っていた」
源造が酒臭い息と共に怒鳴りつけた。
「ちょっと、お化粧の道具を買いに……」
「嘘を云え。こんな夜更けに、どこの店が起きている。お前、明智の野郎と媾曳をしていたのだろう」
ズバリと云って娘の顔を睨みつけた。流石の文代も、この不意うちに、ギョッとして、思わず赤くなった。
「マア、何を云っていらっしゃるの。そんなことが……」
「ア、やっぱりそうだな。そのうろたえ方を見ろ。とうとう尻尾を掴んだぞ。さあ白状しろ。いつか明智をこの船から、オオ、そうだ部屋も同じ此部屋だ。ここから逃がしてやったのは、さては貴様だったな」
源造はムラムラと起る癇癪に、いきなり手にしていたコップを、我が娘めがけて投げつけた。コップは文代の頬をかすめ、背後の壁に当って、こなごなに破れてしまった。
「アレ!」
と叫んで逃げようとするのを、腕を掴んで引き戻し、そこへ押しころがすと、あり合わせた細引きを鞭にして、ビシリビシリ叩き始めた。