友の多くは父母からの入学祝であった。しかし、私は五歳の時、母を亡くしていた。父は健在であったが、母の死後、複雑な事情を抱えていた。そのため、私に腕時計を買い与える余裕はなかった。私の腕時計は、その事情を察した四人の姉が買ってくれた物である。
私はこのことを父に話すべきかどうか迷った。考えた末、話せば辛がるに違いないとの思いから、黙っていようと決めた。そこで、父とゆっくり顔を会わせる夕食の時には、腕時計を外すことにした。
二か月が経った頃であったろうか。慣れとは恐ろしいものである。この二か月という時間は、知らず知らずのうちに、腕時計を体の一部分に同化させていたのである。
その夜、私はちゃぶ台を挟んで向かい側で食事をしている父の目が、私の左手首に注がれているのに気付いた。
(しまった)
即座に茶わんを持っていた左手をちゃぶ台の下に隠そうとした。しかし、そうするとがかえって不自然に映る程、父の目は腕時計を見つめていた。私はいたずらをして、それが見つかった時のような気まずさを感じた。
「その時計どうしたんなら」
父は強い口調で問い掛けてきた。私はうつむいたまま、小さな声で答えた。
「姉ちゃんらに???」
「どうして黙っていたんなら」
と、怒鳴られることを覚悟で。
ところが父は、「ウー」と奇妙な声を発したかと思うと、
「すまんのう」
喉の奥から絞り出したのである。私の目の前には、今までに一度も見たことのない弱々しい父がいた。いつもの威厳のある父の姿ではなかった。
父の言った「すまんのう」の言葉が、私に対して買ってやれなくて「すまない」という意味であったのか、姉たちに対して自分のふがい無さからの「すまない」という意味であったのか、それとも両方の意味を含んだものであったのかは、今は知る由もない。
しかし、あの時の父の声、父の言葉、父の表情から、私は父の本心を読み取ることができた。
今もなお、父に黙っていたことへの後悔の念と、あの時に見せた父の面影が鮮やかに甦ってくる。
父のほほを伝わった一筋の光は、私の人生の上で、何にも優る価値ある贈り物となっている。