カラ梅雨のさわやかなその朝、家中のゴミを市指定の半透明の黄色いビニール袋に詰め込み右と左の手にぶら提げて門を出た。すると門扉の横に何かがころがっていた。ソフトボールほどの大きさ。サイクロン掃除機から転がり出たゴミの塊という形状だ。
「なぜ、玄関先にこんなものが……」
ちょうどその時少し強い初夏の風が吹き抜けた。茶色の物体は目の前を軽やかに転がった。30リットルの黄色い袋を提げたまま私は、思わず後を追いかけた。そして先回りして足で進路を塞いで止めた。
「ゴミなんかじゃない」
袋を地面に置いて両手でそっと拾い上げた。
「鳥の巣だ」
昨夜は風が強かった。そのおりにどこかの木から落ちてしまったのだろうか。抹茶茶碗のような形のその巣には卵のかけらも宿主を特定できるような羽毛も付いてはいない。おそらく野鳥が、マイホームを新築しつつ卵を産む時を待っていたか、あるいはカップルが上手く成立しないまま放置されたものだったのかだろう。巣を無くしてあわてた様子の気の毒な鳥が近くにいるかと電線や近所の屋根を見上げてみたがスズメ一匹囀ってはいない。
この地区の収集時間はいつも早くてパッカー車に間に合わないことが何度もあった。私の手はオートマチックにその巣を黄色いゴミ袋のわずかなすきまに押し込んで、あわてて収集場所へと急いだ。
帰り道、さっきの鳥の巣のことを考えていた。草の茎や稲わらやシュロの皮のようなもので編まれたその巣にはまちがいなく換毛期のウチの犬のくすんだオレンジ色の毛がひとかたまりとウチのネコのコーヒー色の冬毛のかたまりが編みこまれてあったのだ。あの糸クズや布の繊維のようなものは、ウチの洗濯物から出たものかもしれない。家族の「いってきます」や「かえりました」、私の「やれやれ」や「よっこらしょ」や鼻歌や溜息を玄関先で拾い集めて編みこんであったかもしれない。
ひっそりといつのまにか庭のはしっこを生活の場に遊び、我が家のいちいちを拾い集めて巣作りをしていた、見たこともない野鳥を愛しく思った。その鳥は、いわばはしっこの家族であったのだ。
「あわてて、捨てなきゃよかった。今度はもっと丈夫な巣で雛鳥を育ててみせてほしいなあ」
梅雨入りしたのに晴天が続く。
「さぁ、洗たく、洗たく」
初夏の一日が始まった。