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「挑戦」

时间: 2017-04-21    进入日语论坛
核心提示: ある日気がつくと父の左足がパンパンに腫れていた。十年前の病による左半身麻痺の後遺症で少々の腫れは仕方ないとあきらめ加減
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 ある日気がつくと父の左足がパンパンに腫れていた。十年前の病による左半身麻痺の後遺症で少々の腫れは仕方ないとあきらめ加減だった父もさすがに気になり始め、「足の血流とむくみ改善になにかしよう。」と、元々日本武道に関心があったこともあり、近くのカルチャー教室で開講されている杖道入門クラスに見学に行った。
 「二人で始めよう。」と思ったが吉日、左半身がやや不自由だが、師範のご理解により「ご無理のない範囲で一緒に頑張りましょう」と晴れて入門を許可され、土曜の朝の二時間、父と私の二人での練習が始まった。杖道は二人一組で型稽古が基本であるため、リハビリを兼ねた父の瞳は好奇心で輝いていた。「人より上手くなる」とか「段位を目指す」とかの気持ちは今の父にはなかった。始めたばかりの未知なる杖が、自分の手で動くことに感動していたのだ。この連鎖反応で脳が活性化され、新たな感覚が戻ってくれればと私は期待した。
 百二十八センチという杖を使って稽古する中で、心まで調えていくのが杖の道。父は左足が不自由であるだけに、時にふらつきながらも懸命に態勢を立て直し、杖で打ったりまた掛け声を出して突いたりしながら基本の動作を繰り返した。何の変哲もない一本の杖が、持ち手によって魂を吹き込まれたように、あらゆる表情をもって動き出すのだ。その時の自分の気持ちの持ち用が、素直に杖の動きへ現れる。目は心を現す、杖も心を現す。まさに、杖の動きは心と体の動きと連動していた。すでに杖道歴の長い先輩方の大きな声と颯爽とした杖さばきを見ていると、杖道は格好よい!私たちも袴姿の凛々しい杖の使い手になりたいと、父は若々しく元気な己の姿を、私は勇ましい女流剣士の姿を思い描いた。
 稽古を始めて三年が過ぎた辺りから、次第に父の足取りがしっかりしたものになり、ややうつむき加減だった背筋も一段とよくなってきた。週一回の練習時間だが、家での素振りや、後ろ向き歩行の訓練など地道に精進した賜物だろう。頑張り屋の父は、左足が重く動き辛い日も、稽古仲間から元気をもらえるからと、休まず見学に行った。私が動きをいくつか見せると、「ここは、何々だろう」と指摘があるほどだ。予期しない病により活動範囲を制限されたが、物事に挑戦的に取り組む姿勢は健在であり、それは父の哲学でもあるのだろう。
 今、父は新たに杖道といった楽しみを見つけたことで充実した日々を送っている。八十歳を目前に背中は真っ直ぐで、杖なしで早足にたったと歩くこと、それが目下の目標だ。
 目指すところは決して高くはない。が、例え小さな歩幅でも、皆の活力をいただきながら、二人での型稽古も様になって、何年か後には太刀や杖の使い手となる日がやって来る。そう、相方として見守りつつ、新たな生きがいを見つけた父を応援している。
 
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