恩田陆先生的小说《蜜蜂与远雷》获得过直木奖和书店大奖,可谓是本明星书。但我却是在其出版很久以后才看。书中的舞台是位于一座虚构的城市——芳江市,描写了一群挑战国际音乐赛事的年轻小提琴手的成长故事。
「去年の秋に読み、会場や審査発表の描写からこれはうちだと確信しました」。浜松国際ピアノコンクールを主催する浜松市文化振興財団の伊藤渉(わたる)さん(44)は話す。刊行後に恩田さん本人から「過去4大会を客席で取材した」と聞き、得心したという。
“我是去年秋天看的,从会场和公布审查的场景描写来看,我确信原型就是我们这儿”,主办浜松国际音乐节的浜松市文化振兴财团的伊藤涉先生(44岁)说道。在该书发行后,恩田先生告诉他“我在观众席上采访过之前四届大会”,所以伊藤先生才如此胸有成竹。
主人公のひとり、彗星(すいせい)のごとく登場した16歳の少年の活躍を追ううち、伊藤さんはピンと来た。モデルは、14年前に浜松を沸かせた無名のポーランド人ラファウ・ブレハッチ氏に違いない。書類審査で落とされながら、予選から勝ち進んで最高位に輝いた。いまや世界的演奏家である。
在追溯主人公之一——那位宛如彗星一般出场的16岁少年的活跃表现时,伊藤先生成为了人们询问的焦点。这位人物的原型就是14年让浜松陷入沸腾的波兰人拉夫奥•布雷哈奇。虽然他没有通过书面考核,但是却从预算一路高奏凯歌,并获得了第一名。现在已然是一位世界级的演奏家。
浜松国際は1991年、楽器の街のシンボル事業として市が始めた。開催は3年に1度。当初は、ホールも古く、応募者、観衆とも少なかった。「アジア最高水準」との評が定まったのは、審査委員長に就いたピアニストの故中村紘子さんの尽力が大きい。
浜松国际音乐赛事源于市政府在1991年开展的音乐之街重点产业。该赛事每三年举行一次。一开始,比赛大厅陈旧破落,参赛者和观众也寥寥无几。后来其获得“亚洲最高水平”的评价离不开已故的小提琴演奏家中村纮子女士努力,她曾担任该赛事的评委会会长。
国際コンクールは次々に生まれる。出場者や審査員が自国に偏っていたり、特色を打ち出せなかったりすると長くは続かない。演奏者間はもちろん、大会相互の競争も熾烈(しれつ)であると知る。
在这之后,国际音乐赛事接二连三地出现。无论是参赛者还是评委都偏向本国人士,一旦无法打出自己的特色,那么其寿命也屈指可数。不仅是参赛选手之间,大会间的竞争也是非常激烈。
浜松国際は来年11月に第10回の節目を迎える。ショパン、チャイコフスキーなど世界最高峰の舞台と肩を並べる日が来ないものか。夢想しながら「芳ケ江」こと浜松の街を歩いた。
明年11月,浜松国际赛事将迎来第十届。它是否会迎来与肖邦、柴可夫斯基音乐节等世界最高赛事比肩的一天呢?一边憧憬着美好的未来,我一边漫步于这“芳江”街头。