那时候的氛围正在被记录下来。东日本大地震发生后的2个月间,诗人和合亮一先生在从福岛发了无数的推特。如果把以此为基础整理起来的《诗之碎片》形容为装有那时氛围的罐头,那么它们在运至国外后已经被打开了。前些日子,在法国,他获得了文学奖。
〈放射能が降っています。静かな静かな夜です〉。原発事故のもたらす目に見えない恐怖が、言葉の静寂に重なる。〈誰かに呼ばれた気がして振り向いた瞬間に、空気が恐(こわ)い顔をしている、福島の雲の切れ間〉。
“核辐射降了下来,在安静的夜晚。”核电站事故所带来的无形恐惧与语言的寂静混在了一起。“似听到有人呼唤,回头的瞬间,空气露出了狰狞的面庞。这就是福岛上空云朵之间留出的缝隙。”
詩と言うには、あまりに真っすぐな言葉である。〈あなたにとって、懐かしい街がありますか。私には懐かしい街があります。その街は、無くなってしまったのだけれど〉。事故で住めなくなった地域が広がる。
与其说是诗,倒不如说是直率的话语。“对你来说,是否还有熟悉的街道?我有让我绝恋的街道。但这条街,已然消失不见了。”因事故而导致无法居住的地区正在扩大。
私たちはそこから、どれほど前に進んだのか。考え込んでしまう写真が紙面に載った。福島の原子炉格納容器にロボットが入り、溶け落ちた燃料と見られる塊を撮った。事故後6年余り、ようやく内部をのぞくに至った。
我们以后该怎么办?机器人潜入福岛核电站的反应堆,拍下了燃料熔化后形成款状物体的照片。反复思量之后,该照片登了上了报纸的版面。事故六年多后,我们终于看到了其内部的状况。
時が止まったかのような空間である。鍾乳洞のつららのように見える塊をどう取り除くか、方法を決めるのはこれからだ。事態を制御し廃炉を成し遂げるのに、どれだけ年月がかかるのか。
在这片空间里,时间仿佛停止了一般。如何除去犹如钟乳洞中冰柱一般的块状燃料?方法的探讨才刚刚开始。最终,控制住事态并完成废炉是必定能实现的,但这又需要多少时间呢?
事故を忘れたかのように各地で原発が動き始める。〈制御とは何か。余震。あなたは「制御」しているか、原子力を。余震。人類は原子力の素顔を見たことがあるか。余震〉。揺れが収まらない中で和合さんは書いた。いまも突き刺さってくる言葉である。
仿佛忘记了事故一般,各地开始重启核电站。“所谓控制措施怎么样?余震来了!你‘控制’了吗,核能?余震来了!人类看到了核能的真面目了吗?余震来了!”在余震持续期间,和合先生写了上述这些话。现在听来,这些话依然振聋发聩。