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明るき世界へ(2)

时间: 2022-09-13    进入日语论坛
核心提示:二 幸福(こうふく)の島(しま) ある国(くに)にあった話(はなし)です。人々(ひとびと)は、長(なが)い間(あいだ)の版(はん)で押(
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二 幸福(こうふく)(しま)


 ある(くに)にあった(はなし)です。人々(ひとびと)は、(なが)(あいだ)(はん)()したような生活(せいかつ)(つか)れていました。毎日(まいにち)(おな)じようなことをして、(あさ)になるとはね()きて、(はたら)き、()い、そして()()れると(ねむ)ることにも()きてしまいました。
 みんなは、(なか)よく()らすことを希望(きぼう)していましたけれど、どうしても、このことばかりはできなかったというのは、ある(ひと)がたくさん(かね)がもうかったときには、一方(いっぽう)ではまたたいへんに(そん)をするというようなぐあいで、みんなの気持(きも)ちがいつも一つではなかったから、(おこ)るものもあれば、また(よろこ)ぶものがあり、(なか)には()くものまた(わら)うものがあるというふうで、その(あいだ)嫉妬(しっと)嘲罵(ちょうば)()える(ひま)もなかったのでありました。
「ああ、なんで(おれ)たちは、()まれてきたのだろう。()まれたかいがないというものだ。毎日(まいにち)、こんなような(おな)じことを()(かえ)して()んでしまわなければならないのか?」と、人々(ひとびと)はため(いき)をついていいました。
 (はる)になると、(はな)()きました。ちょうどその(くに)全体(ぜんたい)(はな)(かざ)られるようにみえました。(なつ)になると、青葉(あおば)でこんもりとしました。そして、(あき)がくる時分(じぶん)には、どこの(はやし)も、(おか)も、(もり)も、黄色(きいろ)になって(かぜ)のまにまにそれらの()()りはじめました。(ふゆ)()ぎ、また(はる)がめぐってくるというふうに()(かえ)されたのであります。
 この(くに)には、(むかし)からのことわざがありまして、(なつ)晩方(ばんがた)(うみ)(うえ)にうろこ(ぐも)のわいた()に、(うみ)(なか)()()げると、その(ひと)(かい)()まれ()わる。また、三(ねん)もたつと、(うみ)(うえ)にうろこ(ぐも)がわいた()に、その(かい)白鳥(はくちょう)()わってしまう。白鳥(はくちょう)になると自由(じゆう)(そら)()ぶことができる、白鳥(はくちょう)(とお)い、(とお)い、(おき)のかなたにある「幸福(こうふく)(しま)」へ()んでゆくというのであります。
幸福(こうふく)(しま)があるというが、それはほんとうのことだろうか。」
 ある(ひと)が、この(くに)でいちばん物知(ものし)といううわさの(たか)(ひと)(むか)って()いました。物知(ものし)りはもうだいぶ(とし)をとった、白髪(しらが)のまじった老人(ろうじん)でありました。
「それはほんとうのことだ。幸福(こうふく)(しま)へゆけば、いまこの(くに)でまちがっているようなことは、たとえ()ようと(おも)っても()られない。そのうえ、(やま)へゆけば()がしげっている。(つち)()ればいい(みず)がわいてくる。(いわ)()れば、(きん)(ぎん)(どう)(てつ)などが(ひか)っている。野原(のはら)には(はな)()(みだ)れ、()や、(はたけ)にはしぜんと穀物(こくもつ)(しげ)っている。そこへさえゆけば、(ひと)(ねむ)っていて(らく)生活(くらし)がされるから、たがいに(あらそ)うということを()らない。ただ、しかしその幸福(こうふく)(しま)へいくのが容易(ようい)でない。(なみ)(あら)いし、(おそ)ろしい(かぜ)()く、また、(ふか)(うみ)(なか)には魔物(まもの)がすんでいて、(とお)(ふね)(くつがえ)してしまう。だれも、まだその(しま)にいったものがないが、(しま)には、人間(にんげん)()んでいるということだ。また幸福(こうふく)(しま)(おんな)は、天使(てんし)のように(うつく)しいということだ。(むかし)から、その(しま)へいってみたいばかりに、(かみ)(がん)をかけて(かい)となったり、三(ねん)(あいだ)(うみ)(なか)修業(しゅぎょう)をして、さらに白鳥(はくちょう)となったり、それまでにして、この(しま)(あこが)れて()んでゆくのであった。(しろ)(とり)は、その(しま)にゆくと、(はな)()いている野原(のはら)(うえ)()うのである。またあるときは、いつも(みどり)(いろ)()わらない(はやし)(なか)(うた)い、あるときは、(うつく)しい(おんな)(かた)()まって(あい)されもするというが、じつに不思議(ふしぎ)なことだ。」
 物知(ものし)りの老人(ろうじん)(こた)えました。この(はなし)()いた(ひと)は、()をみはりました。そして(おどろ)きました。
「なぜ、こんな不思議(ふしぎ)(はなし)をもっと(はや)く、みんなに()かせてはくださらなかったのですか。」と、老人(ろうじん)()かっていいました。
「こういう(はなし)は、()(なか)(さわ)がせるものだから、あまりしないほうがいいと(おも)ったのだ。」と、物知(ものし)りは(こた)えました。
 この(はなし)は、いつか(くに)じゅうに(つた)わり(ひろ)まったのであります。
 生活(せいかつ)興味(きょうみ)(うしな)っている(わか)人々(ひとびと)(なか)では、毎日(まいにち)うなだれて(しず)んでいるものもありましたが、一(めい)()けても、幸福(こうふく)世界(せかい)()いだしたいと(おも)ったものもありました。そして、(なつ)()(うみ)のかなたに(かたむ)いて無数(むすう)のうろこ(ぐも)(うつく)しく花弁(はなびら)のように(そら)()りかかったときに、()()げて()んだものもありました。
 こうして、()んだ人々(ひとびと)(たい)しては、だれも(かな)しいというような(かん)じを(いだ)きませんでした。このままこの(くに)()ちてしまって(つち)となるよりは、()まれ()わって幸福(こうふく)(しま)へゆくことがどれほど(たの)しい愉快(ゆかい)なことであるかしれなかったからです。
 そして、(うみ)(なか)()()げて()ぬほどの勇気(ゆうき)もなく、いたずらに、(みぐるし)(とし)()って()()れるように()んでしまうことが、その(うつく)しい()(くら)べたら、どんなにか陰気(いんき)で、また(くら)事実(じじつ)でありましたでしょう?
 ()(しず)むころになると、毎日(まいにち)のように、海岸(かいがん)をさまよって、(あお)い、(あお)い、そして地平線(ちへいせん)のいつまでも(くら)くならずに、(あか)るい(うみ)(あこが)れるものが幾人(いくにん)となくありました。(うみ)は、永久(えいきゅう)にたえず美妙(びみょう)(うた)をうたっています。その(うた)(こえ)にじっと(みみ)をすましていると、いつしか、青黒(あおぐろ)(そこ)(ほう)()()められるような、なつかしさを(かん)じました。
 まれには、(つき)(ひかり)が、(なみ)(うえ)(しず)かに()らす(よる)になってから、(かん)がきわまって、とつぜん(うみ)(なか)()(おど)らしたものもあったのです。
 ()まれ()わるという信仰(しんこう)が、どれほど味気(あじけ)ない生活(せいかつ)活気(かっき)をつけたかしれません。「()」ということがこんなに、このときほど意義(いぎ)のあることに(おも)われたかわかりません。
()なずに幸福(こうふく)(しま)(わた)れないものだろうか。」
 (おお)くの人々(ひとびと)(なか)には、()(うみ)()げてしまって、はたして、ふたたび()まれ()わるだろうかという(うたが)いをもったものもおります。その人々(ひとびと)()なずに、どんな冒険(ぼうけん)でもやってみて、その(しま)へたどり()きたいものだと(おも)いました。そして、そのことを(とし)よりの物知(ものし)りにたずねました。
「ゆけないこともあるまいが、なにしろ(とお)い。その(しま)(わた)るまでには(おそ)ろしい(かぜ)()いているところがある。また、大波(おおなみ)渦巻(うずま)いているところがある。魔物(まもの)のすんでいる(ふか)(うみ)をも(とお)らなければならない。その用意(ようい)が十(ぶん)できるなら、ゆけないこともないだろう。」と、なんでも()っている老人(ろうじん)(こた)えました。
 (かんが)(ぶか)い、また臆病(おくびょう)(ひと)たちは、たとえその準備(じゅんび)幾年(いくねん)(つい)やされても十(ぶん)用意(ようい)をしてから、(とお)幸福(こうふく)(しま)(わた)ることを相談(そうだん)しました。
 それからというものは、みんなは(はたら)くことに()()いを()ました。あるものは、(うみ)(わた)(ふね)について工夫(くふう)()らしました。あるものは、いろいろな器具(きぐ)について(かんが)えました。またあるものは、その(しま)についてからのことなどを研究(けんきゅう)して(あたま)(なや)ましました。しかしその(なや)みは、()(すえ)幸福(こうふく)()ることのために愉快(ゆかい)でありました。(はや)く、その未知(みち)(しま)にゆきたいものだとみんなは(こころ)(おも)いました。どんな困難(こんなん)辛苦(しんく)がこの(のち)あってもそれを()()けてゆこうという勇気(ゆうき)がみんなの(こころ)にわいたのであります。
 太陽(たいよう)は、(あか)く、()(がた)になると(うみ)のかなたに(しず)みました。そのとき、(ほのお)のように()える(くも)地平線(ちへいせん)渦巻(うずま)いていました。
幸福(こうふく)(しま)は、あの(くも)(した)のあたりにあるのだろう。」と、みんなはその(ほう)(のぞ)みながら、いいました。やがて、()がまったく(しず)んで、(そら)(いろ)がだんだん(くら)くなると、地平線(ちへいせん)(なみ)(あら)われて、(くも)(いろ)()えてゆくのを()しんだのであります。
 ある()のこと、人々(ひとびと)がいつものごとく、海岸(かいがん)()って(おき)(ほう)をながめていました。そのとき、なにか一つ(くろ)(てん)のようなものが、夕空(ゆうぞら)をこなたに()かってだんだん(ちか)づいてくるように()えたのであります。みんなはしばらく、()をみはってそのものに()をとられていました。
「あれは、なんだろうか。こちらに()かってこいでいるようだ。」
幸福(こうふく)(しま)から、(さきがけ)をして、こちらの(くに)へやってきたのではないか。」
「なんにしても、いまに()いたら、すこしぐらい(おき)のようすがわかるだろう。」と、みんなは、くびを()()ばして(くろ)いもののこの(きし)近寄(ちかよ)るのを()っていました。
 だんだんとその(くろ)いものは(ちか)づいたのであります。すると、(ちい)さな(ふね)で、それには三(にん)のものが()っていたのであります。やっとその(ふね)(みぎわ)()きました。(ふね)から()りた三(にん)のものは、()ばかり(するど)(ひか)って、ひげは(くろ)く、頭髪(かみ)はのびて、ほとんど、(ほね)(かわ)ばかりにやせ(おと)えていたのです。
「みんな(おれ)たちの(かお)をば(わす)れてしまったろう。十(ねん)ばかりまえに(おき)()て、大風(おおかぜ)のために(とお)くへ(なが)されたものだ。」と、その(なか)のいちばん()(たか)(おとこ)がいいました。
 人々(ひとびと)は、十(ねん)ばかり(まえ)にあった大暴風雨(だいぼうふうう)()のことを記憶(きおく)から()()こしました。そして、三(にん)のものがいまだに行方不明(ゆくえふめい)であることを(おも)()したのであります。
「よく(かえ)ってきた。もうみんなは()んだものと(おも)っていた。おまえたちは、幸福(こうふく)(しま)にでも(すく)われていたのか?」と、群集(ぐんしゅう)(なか)から、一人(ひとり)がいいました。
幸福(こうふく)(しま)?」と、そのとき、三(にん)(うち)一人(ひとり)が、自分(じぶん)(みみ)(あや)しむように、(おお)きな(こえ)()(かえ)しました。
「そうだ。幸福(こうふく)(しま)(なが)(あいだ)()んでいたかと()くのだ。」と、群集(ぐんしゅう)(なか)から一人(ひとり)(こた)えました。
「ばかにするのか? 地獄(じごく)から、やっと()()してきた(おれ)たちに()かって、幸福(こうふく)(しま)とはなんのことだ?おまえがたは、久々(ひさびさ)(かえ)ってきたものを侮辱(ぶじょく)するつもりなのか。」と、三(にん)は、(あお)(かお)をして(おこ)りました。
 みんなは、意外(いがい)なできごとに(おどろ)いて、三(にん)をやっとのことでなだめました。
「ちょうど、ここから()ると、あの太陽(たいよう)(しず)む、渦巻(うずま)(ほのお)のような(くも)(した)だ。その(しま)()くと、三(にん)はひどいめにあった。(あさ)から(ばん)まで、獣物(けもの)のように使役(しえき)された。(おれ)たちはどうかしてこの(しま)から()()したいものだと(おも)ったけれど、どうすることもできなかった。()()れると海辺(うみべ)()ては、()をたいて、もしやこの火影(ひかげ)()つけたら、(すく)いにきてはくれないかと、あてもないことを(ねが)った。三(にん)は、ついに(おか)(うえ)獄屋(ごくや)()れられてしまった。そして、(なが)(あいだ)、その獄屋(ごくや)のうちで月日(つきひ)(おく)ったのだ。たまたま(つき)(かげ)が、(まど)からもれると、その(つき)()(とお)(うみ)のかなたのふるさとをしのんだ。ある(ばん)のこと、三(にん)は、その(まど)から()()した。そして、ようようの(おも)いで、(たす)かってここまで()げてきたのだ。」と、三(にん)は、くわしく物語(ものがた)りました。みんなは、年寄(としよ)りの物知(ものし)りにあざむかれたことを(いきどお)りました。
「ああ、(おれ)たちはばかだった。あの老人(ろうじん)が、自分(じぶん)でいきもしない『幸福(こうふく)(しま)』などというものを()っているはずがなかったのだ。あの老人(ろうじん)を、だれがいったい物知(ものし)りなどといったのだ。そして、あの老人(ろうじん)のおかげ幾人(いくにん)(うみ)(なか)()()げて()んだかしれない。」
 みんなは、老人(ろうじん)海岸(かいがん)へひきずってきました。そして、みんなをあざむいたことをなじりました。すると、老人(ろうじん)は、案外(あんがい)平気(へいき)(かお)をしていいました
(むかし)は、『幸福(こうふく)(しま)』だったのだ。しかし、それがいま『(わざわい)(しま)』に()わってしまったのだ。それをだれが()っていよう。けっして、(わたし)(つみ)じゃない。」
 けれど、みんなは老人(ろうじん)のいうことを承知(しょうち)しませんでした。そしてついに老人(ろうじん)を三(にん)()ってきた小船(こぶね)()せて、(おき)(ほう)(なが)してしまいました。みんなは、これで復讐(ふくしゅう)がとげられたと(おも)いました。もうこれからは、みんな物知(ものし)りなどというものがいなくて、この(くに)人々(ひとびと)(まよ)わされる心配(しんぱい)のないのを(よろこ)びました。しかし、そうした(よろこ)びもつかのまのことでありました。
 みんなは、また、(まえ)のように()きている(のぞ)みを(うしな)ってしまいました。なんのために、自分(じぶん)らは、こうして味気(あじけ)ない生活(せいかつ)をつづけなければならぬのか。
(わざわい)(しま)でもいいからいってみたい。」といって、まれには(ふね)()()していくものもありました。
 未知(みち)世界(せかい)(あこが)れる(こころ)は、「幸福(こうふく)(しま)」でも、また、「(わざわい)(しま)」でも、極度(きょくど)(たっ)したときは()わりがなかったからです。とにかく、みんなは、たがいに欲深(よくぶか)であったり、嫉妬(しっと)しあったり、(あらそ)()ったりする生活(せいかつ)愛想(あいそう)をつかしました。そして、これがほんとうの人生(じんせい)であるとは、どうしても(しん)(しん)じられなかったのであります。

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