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生きている看板

时间: 2022-10-14    进入日语论坛
核心提示:生きている看板小川未明 町(まち)から、村(むら)へつづいている往来(おうらい)の片側(かたがわ)に、一軒(けん)の小(ちい)さなペ
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生きている看板

小川未明


 (まち)から、(むら)へつづいている往来(おうらい)片側(かたがわ)に、一(けん)(ちい)さなペンキ()がありました。主人(しゅじん)というのは、三十二、三の(おとこ)であったが、毎日(まいにち)なにもせずに、ぶらぶらと()(おく)っていました。このあたりの商店(しょうてん)は、一()、かけた看板(かんばん)(よご)れて、よくわからなくなるまで、()けておくのが(れい)であって、めったに、(あたら)しくするということはなく、また、(あたら)しい(みせ)が、そうたくさんできて、看板(かんばん)(たの)みにくるということもなかったのです。
「そんなことで、商売(しょうばい)になりますかな。」といって、ペンキ()のことを近所(きんじょ)でうわさするものもありました。
 それも、そのはずであって、いくら、地方(ちほう)(ちい)さな(まち)といっても、工場(こうじょう)では、機械(きかい)運転(うんてん)をして、人々(ひとびと)はせっせと(はたら)いていたし、またほかの商店(しょうてん)では、一(せん)(せん)(あらそ)って、生活(せいかつ)のためには、血眼(ちまなこ)になっていたからでした。
 ペンキ()主人(しゅじん)兵蔵(へいぞう)は、ぶらぶらとして、自分(じぶん)(うち)戸口(とぐち)()たり、はいったりしていました。そして、ぼんやりとするときは、(まち)(ほう)をながめ、あるときは、(むら)(ほう)をながめて空想(くうそう)していました。
 (かれ)が、どんなことを(あたま)(なか)(おも)っているか()った(ひと)はありません。ただ、(かれ)が、こうして、いるうちに、(かれ)(のぞ)いて()(なか)は、せっせと()(あし)をしていたのであります。
 ある(おとこ)は、一(にち)のうちに、五(えん)ばかりもうけました。ある(おとこ)はこの一週間(しゅうかん)(うち)に、東京(とうきょう)から、大阪(おおさか)(ほう)までまわってきました。また(まち)へ、(たび)から役者(やくしゃ)がきて芝居(しばい)()って()れば、その(あいだ)には質屋(しちや)隠居(いんきょ)()に、指物屋(さしものや)(むすめ)(よめ)にいったのであります。けれど、ペンキ()主人(しゅじん)生活(せいかつ)には、()わりがありませんでした。
(へい)さん、このごろは、どうですい。」と、()くものがいると、兵蔵(へいぞう)は、にやりと(わら)って、
「あいかわらず、(ひま)です。」と(こた)えました。
 女房(にょうぼう)は、質屋(しちや)()ってゆく品物(しなもの)もつきて、子供(こども)のものまで()ってゆきました。
「なにか、ほかの商売(しょうばい)をすればいいのに、ああ(あそ)んでいては、(こま)るのもあたりまえだ……。」と、近所(きんじょ)のものは、()るに()かねて、ささやき()ったのです。
 しかし、兵蔵(へいぞう)は、あいかわらず、のんきそうに()らしていました。ある()のこと、女房(にょうぼう)は、辛棒(しんぼう)がしきれなくなったというふうで、「なにをそうぶらぶらして、毎日(まいにち)(かんが)えているんですね。(わたし)たちは明日(あした)()べるお(こめ)がないじゃありませんか。」と、いいました。
()きで(あそ)んでいるんじゃない。仕事(しごと)がないのだもの、しかたがない。」
 (かれ)は、こういって、ぶらぶらしていました。そして、()に、幾度(いくど)ということなく、戸口(とぐち)()たり、はいったりしていました。
 ある()のこと、(まち)菓子屋(かしや)から使(つか)いがきて、(みせ)看板(かんばん)()()えるから、ひとつ趣向(しゅこう)()らして、いいものを()いてくれと(たの)まれたのです。
 その菓子屋(かしや)というのは、(まち)での老舗(しにせ)でありましたから、女房(にょうぼう)(よろこ)んで、
「おまえさん、いいものを()いて、評判(ひょうばん)をとってくださいね。そうすれば、また、ほかの(うち)でも(たの)みますから……。」と、いいました。
 兵蔵(へいぞう)は、にやりと(わら)っただけで、(こた)えませんでした。いよいよ(まち)菓子屋(かしや)へ、仕事(しごと)()かけてゆくと、
大将(たいしょう)、きれいな(おんな)()いてもらいたいと(おも)うんだが、すてきな、美人(びじん)()いてくれないか。」と、菓子屋(かしや)番頭(ばんとう)がいいました。
美人(びじん)ですか?」と、兵蔵(へいぞう)は、()(かえ)した。
「ああ、だれでも()()いて()るようなのをな……。」と、番頭(ばんとう)はいいました。
文字(もじ)()くんでしょうね。」
「ああ、()()かなければ、看板(かんばん)にならないが、まあ、()のほうに(ちから)をいれてもらいたいのだ。」
 兵蔵(へいぞう)は、しばらく、(かんが)えていましたが、(だま)って、そのまま仕事(しごと)にとりかかりました。(うち)で、留守(るす)をしている女房(にょうぼう)は、せっかく、(おっと)仕事(しごと)にありついたので、どうか、いいものを()いてきてくれればいい、それが(ひと)()()まって、評判(ひょうばん)になったら、また、ほかから(たの)みにくるだろう、そうすれば、いままでのように(こま)ることもないと、ひたすら、(こころ)(いの)っていました。
 また、近所(きんじょ)のものは、兵蔵(へいぞう)が、仕事(しごと)()かけたのを()て、
(めずら)しいことだ。」と、(はなし)をしていました。
 兵蔵(へいぞう)は、いつに()わらぬのんきな(かお)つきをして、しきりに(ふで)(うご)かして、いま(おんな)(あたま)から()きはじめたところです。(まち)問屋(とんや)や、工場(こうじょう)や、会社(かいしゃ)などでは、()まぐるしく、(ひと)たちが(はたら)いている(あいだ)(かれ)は、鼻唄(はなうた)をうたいながら、さも(たの)しそうに、美人(びじん)姿(すがた)()いていました。
 番頭(ばんとう)は、二、三()(うち)(そと)()て、兵蔵(へいぞう)()いている看板(かんばん)(あお)ぎましたが、いつまでも()って()ていずに、
「なるほどな。」といって、じきに(みせ)(うち)()()んでしまいました。
 その()晩方(ばんがた)には、(うつく)しい(おんな)()姿(すがた)がみごとに()()がりました。兵蔵(へいぞう)は、はしごから()りて、しばらく(みち)(うえ)()って、自分(じぶん)()いた()()とれていました。
「ああ、よくできた。人好(ひとず)きのする(かお)だな。」と、いつしか、そばにきて()っていた番頭(ばんとう)が、感心(かんしん)していったのであります。
 兵蔵(へいぞう)は、仕事(しごと)()わって、道具(どうぐ)(かた)づけて(かえ)りかけた。そして(みせ)()てから、もう一()自分(じぶん)()いた看板(かんばん)見返(みかえ)していたが、いつしか(かんが)()んで、地面(じめん)(くぎ)づけにされたように、じっとして(うご)かなかった。
 (かれ)は、なんと(おも)ったものか、また、()()()して、はしごへ(のぼ)りました。そして、しばらく(ふで)使(つか)っていましたが、やっと、それで満足(まんぞく)したように、()をながめて、はしごを()りると自分(じぶん)(うち)(ほう)(かえ)ってゆきました。そのときは、もう、あたりが、(くら)くなって、(ひと)(かお)が、はっきりわからなかったのでした。
 翌日(よくじつ)(あさ)番頭(ばんとう)は、(そと)()て、ゆっくり看板(かんばん)()ようとして(あお)ぐと、あっ! と(こえ)をたて、(おどろ)きました。(かれ)は、あわてて(うち)へはいると、
「おい、みんな()てみな!」と、小僧(こぞう)たちにいって、(さわ)ぎました。
 それも、そのはずのこと、看板(かんばん)美人(びじん)(あたま)に、一(ぽん)(ちい)さな(つの)()えていたからです。
一晩(ひとばん)(うち)に、(つの)が、ひとりでに()えるわけはない。看板屋(かんばんや)が、(あと)から()いたに相違(そうい)ないが、なぜこんなことをしたのだろう。」と、番頭(ばんとう)はいったのです。
「これから、看板屋(かんばんや)へいって、()んできて、()きかえさせなければならん……。」と、番頭(ばんとう)(おこ)りました。
 このときまで番頭(ばんとう)(うし)ろに()って、ものをいわずに、看板(かんばん)()ていた、菓子屋(かしや)主人(しゅじん)は、
「いや、()きかえさせなくていい。なかなかおもしろいと(おも)う。きっと、この看板(かんばん)は、世間(せけん)評判(ひょうばん)になるだろう。」と、いいました。
 はたして、この看板(かんばん)は、世間(せけん)のうわさに(のぼ)った。
「あれは、(おに)()いたんでしょう。」
「いや、あんな、(うつく)しい(おに)というものは、ありませんよ。やはり、美人(びじん)()いたので、(かお)は、こんなに(うつく)しくても、(こころ)は、(おに)だということを(あらわ)したものでしょう……。」
「しかし、なかなかあの(つの)は、愛嬌(あいきょう)がありますね。」
「そう、あんなに(かお)の、(うつく)しい(おに)があれば(わる)くありませんな。」
 人々(ひとびと)は、看板(かんばん)()を、さながら()きている人間(にんげん)批評(ひひょう)するように、とりどりにうわさをしたのでした。
 いつのまにか、菓子屋(かしや)看板(かんばん)美人(びじん)は、この(まち)(ひと)たちの仲間入(なかまい)りをして、りっぱな存在(そんざい)になったのであります。
 (むら)(ひと)たちも、看板(かんばん)目標(もくひょう)に、道筋(みちすじ)などを(かた)るようになりました。しかし、これを()いた兵蔵(へいぞう)は、それから転々(てんてん)して、どこへか(うつ)っていってしまった。いつしか、兵蔵(へいぞう)のことは(わす)れられて、だれもいわなくなったけれど、(かれ)()いた、菓子屋(かしや)看板(かんばん)はその()(なが)く、ものをいわない人間(にんげん)のごとく、()きていて、(まち)名物(めいぶつ)となっていました。

――一九二七・一〇作――

 

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