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生きぬく力(2)

时间: 2022-10-14    进入日语论坛
核心提示: ついこのあいだまで聞(き)こえていた、あぶらぜみの声(こえ)がしなくなったと思(おも)うと、秋(あき)がきました。そして、今日
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 ついこのあいだまで()こえていた、あぶらぜみの(こえ)がしなくなったと(おも)うと、(あき)がきました。そして、今日(きょう)は、一(どう)()ちに()った遠足(えんそく)()であります。
 ()()てた(てら)境内(けいだい)で、孝二(こうじ)は、(ひと)(まつ)()(こし)()ろして、茫然(ぼうぜん)としていました。
(きみ)()べない。」と、ふいにキャラメルの(はこ)をひざの(うえ)()いたものがあります。見上(みあ)げると、小泉(こいずみ)でした。
「どうして、こんなことをするんだい。」と、孝二(こうじ)は、不思議(ふしぎ)(おも)いました。
「いつか、ドッジボールのお(かね)()してもらったから。」
「えっ。」
「いつか、ドッジボールのお(かね)()してもらったろう。」
「そんなこと、いいんだよ。(きみ)、お()べよ。」と、孝二(こうじ)は、それを(かえ)そうとすると、
(ぼく)(きみ)(ぶん)として()ってきたんだもの。」と、小泉(こいずみ)がいいました。孝二(こうじ)は、これを()くと、()がしらが(あつ)くなって、
「ありがとう。」と、(れい)をいって、自分(じぶん)()ってきたものを()して、二人(ふたり)は、(なら)んで(はな)しながら、お菓子(かし)や、果物(くだもの)()べたのでした。
「まだ、新聞配達(しんぶんはいたつ)をやっているの。このごろちっとも()ないね。」
「ちがった方面(ほうめん)()()ったのだ。」
(やす)みのとき、(あそ)びにおいでよ。」
「だって、()ずかしいもの。」
「ちっとも()ずかしいことなんかないさ。(ぼく)のお(かあ)さんも、(きみ)(えら)いといって、感心(かんしん)しているよ。」
「そうかい、こんどいくよ。」
卒業(そつぎょう)したら、どうするんだい。」
「お(かあ)さんは、(うえ)学校(がっこう)へはやれぬから、(いえ)手助(てだす)けをしろというのだ。」
(きみ)のお(かあ)さんは、いいお(かあ)さんだろう。」
(ぼく)が、勉強(べんきょう)ができなくても、しからないよ。」
先生(せんせい)も、これからの子供(こども)は、(だい)一が健康(けんこう)で、つぎは、正直(しょうじき)(はたら)くことだ。それがすなわちお(くに)のためにつくすことになるとおっしゃったろう。(ぼく)などより、(きみ)のほうがよっぽど(えら)いんだ。いまからでさえ(はたら)いているのだもの。」と、孝二(こうじ)は、ややもすると(だま)ってしまう(とも)だちをはげましました。
 ちょうど、このとき、あちらで、集合(しゅうごう)(ふえ)()りました。

(あずま)さんというのは、たいそうおできになるのだね。」と、父兄会(ふけいかい)から(かえ)っていらしたお(かあ)さんが、いわれました。
級長(きゅうちょう)だ。」と、孝二(こうじ)は、(こた)えました。
「どうりで、お(かあ)さんが、自慢(じまん)していらした。先生(せんせい)も、おほめになっていられた。府立(ふりつ)だって、どこだってだいじょうぶでしょうといっていられたから。そして、有田(ありた)さんという()もおできになるようだね。」
(あずま)有田(ありた)小原(おばら)、三()がらすだよ。みんなお(かあ)さんがいっていたの。」
「ふとったお(かあ)さんは、有田(ありた)さんのお(かあ)さんでしょう。」
眼鏡(めがね)をかけているのが、有田(ありた)くんのお(かあ)さん、()(ひく)いちぢれ(がみ)のが、(あずま)くんのお(かあ)さん、ふとっているのは、小原(おばら)くんのお(かあ)さんさ。あの三(にん)は、いつも()れば、自分(じぶん)子供(こども)自慢話(じまんばなし)をしているのさ。」と、孝二(こうじ)が、冷笑(れいしょう)しました。
自慢(じまん)のされるようなお()さんを()って、どんなにお(かあ)さんたちは、うれしいかしれません。そういえば、その三(にん)のお(かあ)さんたちは、よく()()っているように(はなし)をしていられました。おまえも、勉強(べんきょう)すれば、もっとできるのだがと先生(せんせい)がいっていらしたよ。」
先生(せんせい)は、健康(けんこう)(だい)一、勉強(べんきょう)(だい)二と、いっているくせになあ。」
健康(けんこう)(なま)けることとは(ちが)います。ああいうところへ()ると、できない子供(こども)のお(かあ)さんは、()(どく)ですよ。先生(せんせい)(まえ)で、(あたま)ばかり()げていなければなりません。」と、お(かあ)さんが、いわれました。
「そんなお(かあ)さんあって。」
「どこのお(かあ)さんか()らないが、先生(せんせい)(まえ)でペコペコ(あたま)()げていた(ひと)がありました。」
「どんなお(かあ)さん。」
(はたら)いている(かた)のように、みすぼらしいふうをしていましたが……。」
 これを()くと、孝二(こうじ)()は、かがやきました。
「それは、小泉(こいずみ)のお(かあ)さんだ。よいとまけをやって、小泉(こいずみ)(いもうと)と三(にん)()らしている、貧乏(びんぼう)(いえ)なんだよ。」
「それで、(わたし)が、(いえ)にいませんからと、先生(せんせい)にいっていらした……。」
「二、三年前(ねんまえ)にお(とう)さんが()んだのだそうだ。しかし、やさしい、いいお(かあ)さんらしいのだよ。」

 五、六(ねん)は、たちまちに()ぎてしまいました。植木屋(うえきや)が、七、八(ねん)()つといった竹垣(たけがき)も、この(あき)には(あたら)しくしなければなりませんでした。けれど、おじいさんも達者(たっしゃ)であれば、孝二(こうじ)は、じきに中学(ちゅうがく)卒業(そつぎょう)するのでした。ある()同窓会(どうそうかい)があって、ひさしぶりで母校(ぼこう)(あつ)まり、なつかしい先生(せんせい)()()いたのですが、(かお)()わせたのは、わずか十五、六(にん)()ぎなかったばかりでなく、(あずま)も、小原(おばら)も、有田(ありた)も、()えないのが(さび)しかったのでした。この()孝二(こうじ)()っていったことは、つぎのようなものでありました。
(わたし)は、()きぬく(ちから)というものを(かん)じました。それは、学校(がっこう)にいる時分(じぶん)先生(せんせい)からも()いた、健康(けんこう)で、まじめに(はたら)くということですが、同窓(どうそう)小泉(こいずみ)くんについて、最近(さいきん)(わたし)(むね)()たれました。諸君(しょくん)()られるごとく、小泉(こいずみ)くんは、学校(がっこう)にいる時分(じぶん)から(はたら)いていたのです。卒業後(そつぎょうご)は、(うえ)学校(がっこう)へはいかずに(はたら)いていたようですが、なにをしていたか()りません。三(ねん)ばかり(まえ)、一()途中(とちゅう)であったときは、小僧(こぞう)さんのようなふうをしていました。
『いそがしいかね。』と、()くと、
『うん。』といいました。
(からだ)大事(だいじ)にして、(はたら)きたまえ。』というと、(わら)って、(わか)れてしまったのでした。ところがこれは、このあいだのことです。
 それは日曜(にちよう)午前(ごぜん)でした。天気(てんき)がいいので、往来(おうらい)は、いつになく人出(ひとで)(おお)く、カメラを()げて()かける青年(せいねん)などを見受(みう)けました。このとき、チリン、チリンという(すず)()がしました。それは、(さかな)(ほね)や、ご(はん)(のこ)りなどを、毎朝(まいあさ)(あつ)めに(くるま)()いてくる、それなのです。なんの()なしに()()くと、その(おとこ)が、小泉(こいずみ)くんなのです。()きゲートルをして、地下足袋(じかたび)をはいて、(くろ)帽子(ぼうし)(かぶ)っていました。小泉(こいずみ)くんは、ほかへ()をとられて、(ぼく)()づきませんでした。(ぼく)は、よほど(こえ)をかけようかと(おも)ったが、自分(じぶん)がなんだかいくじのない人間(にんげん)のような()がしてやめました。(わたし)は、(しん)(はたら)くものの(とうと)さを(かん)じたのであります。(おな)(とし)ごろの青年(せいねん)(あそ)(ある)いているのに、それをうらやむ(いろ)もなく、また自分(じぶん)のようすを()ずかしいなどと(かんが)えず、仕事(しごと)(たい)して真剣(しんけん)なのにうたれました。(あずま)くん、小原(おばら)くん、有田(ありた)くん、この三(にん)は、()(くみ)の三()がらすとして()られた秀才(しゅうさい)でありました。しかし、この三(にん)は、あまり勉強(べんきょう)()ぎて、三(にん)とも()んでしまったのです。()んでしまっては、なんのお(くに)(やく)にもたちません。また、小泉(こいずみ)くんのお(かあ)さんは、競争心(きょうそうしん)なんかない(ひと)で、小泉(こいずみ)くんに無理(むり)勉強(べんきょう)をさせなかったのもいいことだと、(わたし)(おも)いました。先生(せんせい)は、(だい)一が健康(けんこう)で、つぎは、正直(しょうじき)で、まじめであれとつねに(わたし)たちにいわれました。(みな)さんも記憶(きおく)があるでしょう。いつであったか、先生(せんせい)は、算数(さんすう)時間(じかん)に、いちばん(はや)くできたものと、いちばんおくれたものに鉛筆(えんぴつ)をくださったことがあります。だれも、おくれた名誉(めいよ)鉛筆(えんぴつ)をもらいたくないと(おも)いました。そのとき、小泉(こいずみ)は、いちばん最後(さいご)で、しかもまちがった(こた)えを先生(せんせい)のところへ()っていったのであります。(わら)ったものもあったが、(わたし)は、小泉(こいずみ)くんは正直(しょうじき)だと(おも)いました。チリンチリンの(くるま)()小泉(こいずみ)くんを()たとき、(わたし)は、その正直(しょうじき)さをふたたび(かん)じました。それはぐんと(わたし)(むね)をつきました。そうだ、どんな(くる)しいことであっても、(わたし)たちは、()きぬかなければならぬのだ。()きぬくことがすなわち、お(くに)のためにつくすことだと(かん)じたのであります。」
 孝二(こうじ)がこういったので、小泉(こいずみ)生活(せいかつ)が、はじめてみんなにもわかりました。この()小泉(こいずみ)は、同窓会(どうそうかい)にはきませんでした。
 この(はなし)()かれた、先生(せんせい)()には、五、六年前(ねんまえ)のいじらしい(かれ)姿(すがた)(おも)()してか、(なみだ)(ひか)っていました。

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