石段に鉄管
小川未明
秋の暮れ方のことであります。貧しい母親が二人の子供をつれて、街道を歩いて、町の方へきかかっていました。二人の子供は男の子でした。上が十一ばかり、そして、下は、まだ八つか、九つになったばかりであります。
彼らはどこからきたものか、疲れていました。ことに二人の子供は足がくたびれたとみえて、重そうに足を引きずっていました。
兄のほうは、それでも我慢をして、先になって歩いていました。弟のほうは、母親のたもとにすがったり、その体をまわったりして、ときどき、黙って歩いている母親の顔を仰いで、苦痛を訴えるのでした。
「ああ、もうすこしいったら、休ましてやるよ……。」と、母親はいいました。
三人は、あまり、おそくならないうちに、町へはいりたかったのでありましょう。しかし小さな子供は、足が痛んで、どこででもいいから休みたかったのです。
街道をいくと、傍に大きな屋敷がありました。道からすこしく高いところに、その家は建てられていたのでした。そして、石段が通り道から、そこまでついていました。石の上は白く乾いて、しめった黒っぽい土の面から浮き出ていました。
「ここへ腰かけて、休んでいきましょう……。」
哀れな母親は、二人の子供を見まわしていいました。そこで母親を真ん中にして、兄は左に、弟は彼女の右に腰をかけたのであります。
みすぼらしい着物は、ほこりにまみれていました。秋の晩方の空気は、ひやひやとして肌に迫り、木立の葉は色づきはじめて、日は、林のあちらに落ちかかっていました。三人の前には、さびれていく田園の景色がしみじみとながめられたのです。年上の子供は、黒い瞳をこらして、遠方をじっと物思わしげに見つめていました。どんなことを頭の中に考えていたでしょう? 弟のほうは、母親の体によりかかって、これとて無心でいました。日が暗くなった時分に、どうするかということも……、また今夜は、どんなところに宿るだろうということも、また、もうすこしたてば、いまそれほどに感じていないひもじさを訴えなければならぬということも知らぬげにみられました。けれど、哀れな母親には、とっくにそれがわかっていて、こうして休んでいる瞬間にも、胸を苦しめているのでありました。
この三人は、石段の下から二、三段上のところに並んで腰をけていましたが、その前をいく人通りもまれとなったのです。ちょうど、母親が、切れかかったぞうりの鼻緒を直していたときです。石段の上から、男が、憎々しげにどなりました。
「ここは、乞食の休み場でない。さあ早く、あっちへいくんだ!」
男は、両手を振って、三人を追いやるような手まねをしました。
二人の子供は、すぐには、起てなかったのです。なぜなら、腰を下ろすとともに、疲れが一時に襲って、小さな足は、重くて、痛かったからでした。母親は、ぞうりをまだ手に持っていました。
「早く、うせんか。ここは、おまえがたの休み場でないぞ!」
男の権幕が怖ろしかったので、三人は石段を離れて歩き出しました。兄は、じっと男の顔を振り向いて見ていました。弟は、石の上にただ腰をかけていることがなんで悪いのか? なんでしかられなければならぬのか? それが、不思議で、不思議でなりませんでした。それで弟は、振り向いて、いままで自分たちが腰をかけていた石段のあたりをながめたのです。石は白く、なんの変化もなく、ぼんやりと乾いた色のままに浮き出ていました。
「お母あ、なんでしかられたんだい。」と、弟は、うつむいて歩いている母親にたずねました。しかし、母親の答えは、子供の耳には聞きとれないほど、口の中でその声はつぶやいたのでした。
「なんだい、そんな石段……、減りはしないじゃないか?」
兄のほうの子供は、たまりかねて、十間も歩いて、こちらへきた時分、男のいる屋敷の方を見て叫びました。男が、石段が減る心配以外には、なにも自分たちをしかる理由がなく、また、自分たちはしかられるはずがないと思ったからです。
母親は、やはりうつむいて歩いていました。二人の子供は、それから、しばらく黙って、おとなしく歩いたのです。
あちらに、町の灯が、見えてきました。
もう、日は、暮れてしまって、西の空には一日の余炎もうすれてしまいました。そして、ものの蔭や、建物の蔭に、闇が暈取っていました。水道工事があるとみえて、鉄管が道ばたに、ところどころ転がっています。
三人は、うす暗い、建物の壁にそって歩いていました。そこの電信柱の下にも、長い機械のねているように、大きな鉄管が転がっていたのです。それは、三人が、もたれかかって休むのに、ちょうど適当のものでした。
「ここで、休んでいこう……。」と、母親は、二人の子供にいいました。
「こんな暗いところは、いやだなあ。」と、弟はいいました。
鉄管は、ここばかりでない。ずっと町の方まで、ところどころこうして置かれてあるからでした。
「ここで、休んでいこう。」と、母親は、くりかえしていいました。
彼女は、明るい場所で休むと、まただれかにしかられはしないかという不安があったからです。そして、この母親の心持ちを年上の子供だけは、悟ることができるのでした。
「ああ、ここで休んでいこうね。」と、年上のほうの子供は、いって、母と並んで、冷たい鉄管に疲れた体をもたせかけて、なおもはい上がって腰かけようとしていました。
年下の弟は、町の方にきらきら輝く灯をながめていましたが、
「こんなところは、いやだ。もっと明るい方へいって休もうよ……。暗くて、いやだ。」といいました。
「そんなこといわんで、ここへきて、ちっとばかし休みな。」と、母親は、諭すようにいいました。けれど、弟は、明るい方ばかし見ていて、母親のいうことを聞きませんでした。
「明るい方へいって、休もうよ……。」
母親が返事をしなかったので、
「町の方へいってから、休もうよ……。暗いとこはいやだ。明るい方へいって、休もうよ。」と、小さな子供は、体をもだえていいつづけました。
「明るいところへいって休むと、また、しかられるぞ。」と、兄はいいました。
「うそだ……、うそだ! 俺ら、暗いとこはいやだ……。」
冷酷な建物の蔭になっている暗いところで、しかも冷たい鉄管の周囲で、哀れな三つの影は、こうしてうごめいているのでありました。
――一九二四・一〇――