一銭銅貨
小川未明
英ちゃんは、お姉さんから、お古の財布をもらいました。そして、お母さんから、小遣いをいただくと、その中にいれておきましたが、じきに、つかってしまうので、その財布の中は、いつもからっぽでありました。
ある日、英ちゃんが、その財布を、ばたばたやっていると、お姉さんがごらんになって、
「英ちゃんの、財布の中は、いつもからっぽなのね。」と、笑いながらおっしゃいました。
「からっぽなもんか、そら、ごらんよ。はいっているだろう。」と、英ちゃんは、お金をつまんで見せました。
「たった、一銭きりしかないの?」
「姉さんは、この銅貨が、いつできたと思ってるの。そりゃ、古いんだから。」
「そうね、大きいから、大正か、明治にちがいないわ。」
「明治九年なんだぜ。まだ、うちのお父さんもお母さんも、生まれない前のだよ。その時分から、日本じゅうをぐるぐるまわっていたんだ。そう思って、僕、大事にしているのさ。」と、英ちゃんは、いまのから見ると、大形な、そして、手ずれのした、一銭銅貨を裏表を返しながら、さもなつかしそうにながめていました。
「まあ、そんなに、古いの。」と、お姉さんも、手にとって、ながめました。
「いろいろの人の手に渡ってきたんだね。」
「それは、そうよ。英ちゃんは、どんな人の手に、このおあしが渡ってきたと思うの。」
「大人や、子供や、金持ちや、貧乏人……。」
「もっと、いってごらんなさい。」
「船にも乗ったろうし、汽車にも乗ったろうし、新聞売りの手にも渡ったろうし、バッチンの穴の中へも入ったろうし、紙芝居のおじさんの手にも、そのほか考えたら、まだいろいろあるだろう。」
「だけど、海や、河の中に沈んだり、火の中へはいって、焼けてしまったら、もうこうして、このお金はなかったんですよ。」と、お姉さんは、おっしゃいました。それに、ちがいないと、英ちゃんは、思ったが、
「畳の間や、火鉢の灰の中に、落ちたことはあったかもしれないよ。」といいました。
「英ちゃんは、このお金をつかわないつもり。」と、姉さんは、おききになりました。
「僕、大事にして、しまっておくのだ。」
英ちゃんは、財布をばたばたやりながら、あちらへいってしまいました。
その晩、英ちゃんは、財布をまくらもとに置いて、寝たら、夢を見ました。
「坊ちゃん、私たちも、人間と同じように、一代のうちに、悲しいこともあれば、うれしいこともあります。大事に取り扱われればうれしいし、粗末にとりあつかわれればいい気持ちはいたしません。ひとつ身にしみて、忘れられないお話をいたしましょうか。」と、一銭銅貨が、いいました。
「ああ、きかして、おくれ。」と、英ちゃんは、答えました。
まだ、早い春の寒い夜のことでありました。その晩も、だんだんふけて、もう街は戸をしめて、電車に乗っている人も少なかったのです。
ゴウ、ガタン、ゴウ、ガタンといって、電車は走っていました。ある停留所で、ちょっととまるとみすぼらしい、腰の曲がったおじいさんが、つえをついて、電車にのりました。
「このおじいさんは、こんなふうをして、いま時分どこへいくのだろう。」と、乗っていた人たちは心のうちで思ったのです。
が、おじいさんが、腰をかけるのを見てから、車掌さんは、チン、チンとベルを鳴らしました。そして、おじいさんの前へきて、
「おじいさん、どこまでですか。」と、切符を切ろうとしました。
おじいさんは、がまぐちを振って、ありたけの銭を車掌にやりました。車掌は、よくかんじょうしてみました。
「おじいさん、一銭足りませんよ。」といいました。
「私は、あると思ったが、まけてはくださるまいのう。」と、おじいさんはいいました。
「規則ですから、おまけすることはできません。」と、車掌は、答えて、おじいさんのようすを見守っていました。
あわれなおじいさんは、このとき、つえをついて立ち上がりました。そして、電車から降りるため出ていこうとしました。
「おじいさん、一銭足らないのは私があげます。」といって、車掌さんは、自分のがまぐちから一銭銅貨を出して、おじいさんにやりました。
おじいさんは、心からありがたく思って、そのお金をいただきました。
「坊ちゃん、そのときの、一銭銅貨が、私なんですよ。」と、銅貨が、いいました。
「それから、おじいさんは、どうしたい。」と、英ちゃんが、たずねたときに、目がさめたのであります。
学校から帰ると、英ちゃんは、お母さんから、八銭おあしをいただいて、たこを買いにいきました。十銭出すと、とても、いいのが買えるのです。
「おじさん、これをば八銭に、おまけしてくれない。」と、英ちゃんは、いってみました。
「坊ちゃんだから、九銭にまけておきますよ。ほかの子でしたら、おまけしません。」と、答えました。英ちゃんは、どうしようかと考えましたが、とうとう、財布を空っぽにして、大事な一銭銅貨をやってしまいました。そのとき、
「かわいそうだな。」と、英ちゃんがいうと、
「私は、しまっておかれるよりか、旅をするほうが好きです。」と、銅貨は、ちかりと笑って、ほかのお友だちといっしょに、箱の中へはいっていきました。