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うずめられた鏡(2)

时间: 2022-10-17    进入日语论坛
核心提示: だまって、これを聞(き)いた学者(がくしゃ)は、ほかにも、こんな伝説(でんせつ)があるのか、うなずいていましたが、「この古墳
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 だまって、これを()いた学者(がくしゃ)は、ほかにも、こんな伝説(でんせつ)があるのか、うなずいていましたが、
「この古墳(こふん)()ってみたいのですが、どうか学問研究(がくもんけんきゅう)のため、ぜひゆるしてもらえますか。」と、そのとりはからいかたを、書記(しょき)にたのんだのでした。
「さあ、村長(そんちょう)さんや、神主(かんぬし)さんたちが、なんといわれますか、()いてみなければわかりませんが、いつかも、そういう(はなし)があったとき、たたりを(おそ)れるからといって、だれも、()をつけなかったのです。」と、書記(しょき)はいいました。
(わたし)は、たぶん、なにか(あたら)しい発見(はっけん)ができるような()がするのです。」と、考古学者(こうこがくしゃ)は、自分(じぶん)(かんが)えをもらしました。
 学者(がくしゃ)学問(がくもん)のためにというので、書記(しょき)(こころ)をうごかせられたらしく、熱心(ねっしん)()きまわってくれるのです。そのかいあって、ついに(むら)発掘(はっくつ)をゆるしました。
 (はる)びよりの、あたたかな()でした。(はたけ)(なか)古墳(こふん)のかたわらには、一(ぽん)のかきの()がありましたが、小枝(こえだ)にのびた、つやつやしい若葉(わかば)は、(かぜ)にふかれて(ひか)っていました。そして、(しろ)(ほし)のような(はな)が、()きかけていました。
 ここへ(あつ)まってきた(むら)若者(わかもの)たちが、(つち)をほるため、くわをふるっていました。べつに、ひびきをたてるほどでなかったけれど、かきの(はな)は、もろく(えだ)をはなれて、ぽとりぽとりと、つめたい()()ちるのでした。
(はな)でも、()でも、(あき)(すえ)まで、まんぞくにのこっているのは、すくないものだな。」と、これを()(かん)じたものか、書記(しょき)()見上(みあ)げながら、いっしょにはたらく学校(がっこう)教員(きょういん)ふうの(おとこ)と、(はなし)をしていました。
 土中(どちゅう)(ふか)く、(いし)をまわりに()んである(かん)が、()りだされたのは、ようやく(はる)()の、かたむくころでありました。
 (かん)(なか)には、(そこ)にのこっている白骨(はっこつ)と、不完全(ふかんぜん)土器(どき)と、七つの(かがみ)などがあって、人々(ひとびと)()をひいたのでした。その死者(ししゃ)は、学者(がくしゃ)が、骨格(こっかく)から判断(はんだん)して、まだ(わか)(おんな)であったとわかりました。
 (かがみ)は七(めん)のうち、六つまで、さびきって、ぼろぼろにくさっていたけれど、どうしたわけか、ただ一(めん)だけ、くもっているけれど、なお、いくぶん(ひかり)をたたえて、あかるみへ()すと、ものの(かげ)さえ、おぼろげにうつるのでした。
「どうして、この一(めん)だけが、くさらなかったろう?」
 そのことが、みんなの、疑問(ぎもん)となりました。
「おなじ、金属(きんぞく)(つく)られたであろうに、どうして、この一つだけが、くさらなかったのでしょう。」と、役場(やくば)書記(しょき)は、学者(がくしゃ)にむかってたずねました。このなぞは、たとえ、学者(がくしゃ)でも、すぐには、()くことができなかったのです。
 そして、いく(にち)かの(のち)でした。博士(はかせ)研究室(けんきゅうしつ)(まど)から、しばらくの(あいだ)(なつ)らしくなった、(そと)のけしきに()とれていました。
 ひでりつづきのため、(しろ)っぽく、かわいたアスファルトの(みち)は、すこしの(かぜ)にも、ほこりをたてていました。そして、せわしげに(ある)いている人々(ひとびと)姿(すがた)や、(みち)ばたにならんでいるプラタナスの(かげ)が、ちらちらと(みち)(うえ)にうごくのが、なんとなく、わびしげにさえ()えるのでした。
 研究室(けんきゅうしつ)につとめている助手(じょしゅ)小田(おだ)さんは、また青年詩人(せいねんしじん)でもありました。詩人(しじん)なればこそ、幾世紀前(いくせいきまえ)人間生活(にんげんせいかつ)興味(きょうみ)をもち、(こころ)(うつく)しく想像(そうぞう)し、また、あこがれもしたのでありましょう。
 博士(はかせ)は、へやへはいってきた小田(おだ)さんに、こんどの旅行(りょこう)()北国(ほっこく)や、いろいろ経験(けいけん)したことを、くわしく(はな)しました。
 たとえば、丹塗(にぬ)りの(やしろ)があり、用水池(ようすいいけ)があり、古墳(こふん)はそのかたわらにあったことや、伝説(でんせつ)(はなし)や、(かん)()ったときのありさまなど、当時(とうじ)のことを、(おも)()しながら(かた)ったのであります。
 助手(じょしゅ)小田(おだ)さんは、()をかがやかして、博士(はかせ)のいうことを()いていました。
「ただ、ふしぎなことが一つあった。それは、(かん)(なか)にあった七(めん)(かがみ)が、一(まい)だけくさらずに、いまも(ひか)っているが、あとは六つとも、さびて、ぼろぼろになっていたことだ。おなじ(かね)(つく)ったのであろうが、それは、どうしたことだろうか。」
 博士(はかせ)(くび)をかしげながら、かばんの(なか)の、古鏡(こきょう)をとり()して、小田(おだ)さんにしめしました。
(わたし)はこのなぞを、どうしても学問(がくもん)のためにも、()かなければならない。」と、博士(はかせ)はつづけていいました。
「むかしは、(かがみ)(おんな)のたましいともいいましたから、これには、たましいが、はいっているのかもしれませんね。」と、さすがに小田(おだ)さんは、詩人(しじん)らしい感想(かんそう)をもらして、うけとった(かがみ)を、ていねいになでながら、しばらく、じっと()まもっていました。
「この金属(きんぞく)を、分析(ぶんせき)してみなければ、わからぬことだ。おなじ金属(きんぞく)でつくったものなら、この一つだけが、くさらぬというわけがあるまい。」と、博士(はかせ)は、科学者(かがくしゃ)なら、空想(くうそう)事実(じじつ)として、(しん)ずるわけにいかないと、ひややかな調子(ちょうし)で、助手(じょしゅ)(こた)えたのであります。
 このとき、博士(はかせ)は、古墳(こふん)発掘(はっくつ)をてつだってくれた役場(やくば)(わか)書記(しょき)にしろ、学校(がっこう)先生(せんせい)にしろ、(はなし)()いていると、みんな(わか)(ひと)たちは詩人(しじん)であって、物質(ぶっしつ)だけをたよりとしていない、そのことは、いままでの学者(がくしゃ)たちとちがって、たましいのありかを()るといういきかたで、考古学(こうこがく)将来(しょうらい)に、(あか)るい(みち)(ひら)けるような()がしたと、助手(じょしゅ)小田(おだ)さんにむかっていったのでした。
 その翌日(よくじつ)のことです。博士(はかせ)研究室(けんきゅうしつ)()かけて、旅行先(りょこうさき)(あつ)めてきたいろいろの材料(ざいりょう)を、よくしらべて、配列(はいれつ)するのをたのしみとしました。
先生(せんせい)、おはようございます。やはり、あの(かがみ)は、ふしぎであります。先生(せんせい)のおいでなされるのを()っていました。」と、昨夜(ゆうべ)は、研究室(けんきゅうしつ)宿直(しゅくちょく)した小田(おだ)さんは、博士(はかせ)(かお)()るや、とびつかんばかりに(うった)えたのでした。
「ふしぎなことって、どんなことだね。」と、博士(はかせ)も、なんとなく、(むな)さわぎを(かん)じました。
「まあ、こちらへいらして、ごらんください。」と、助手(じょしゅ)小田(おだ)さんは、(さき)()って、博士(はかせ)を、しんとした、うすぐらい研究室(けんきゅうしつ)案内(あんない)しました。
 そこには、(おお)きなろうそくが、ともされていました。かげろうのうごくように、ろうそくの()は、(した)におかれた(かがみ)のおもてを()らしていました。
 博士(はかせ)(こころ)をおちつけて、(かがみ)をのぞくと、そこにあやしげな()なりをした、男女(だんじょ)がならんで、おぼろげに()()ていました。
 (とし)とった、この考古学者(こうこがくしゃ)は、しばらく()を、(かがみ)からそらさずに、沈黙(ちんもく)していましたが、そのうち、うめくように、
「ああ、やはり(おんな)は、七(にん)のうち、この(かがみ)をくれた(おとこ)だけを、(ふか)(あい)していたとみえる。」と、はじめて、そのなぞが、()けたといわんばかりに、ひくい(こえ)でさけびました。
先生(せんせい)、するとこの(おんな)は、貞操(ていそう)をまもりたいばかりに、だまって()をえらんだのですね。」と、小田(おだ)さんが()きました。
「たしかにそうだよ。()んでから、地下(ちか)二人(ふたり)は、永久(えいきゅう)幸福(こうふく)をもとめて、約束(やくそく)をはたしたんだね。」と、博士(はかせ)(こた)えました。
西洋流(せいようりゅう)ですと、婚約(こんやく)指輪(ゆびわ)をおくる風習(ふうしゅう)がありますが、東洋(とうよう)日本(にっぽん)でも、(むかし)から、(おんな)(こころ)をうつすといって、(かがみ)をたいせつにしましたが、婚約(こんやく)にも(もち)いられはしなかったでしょうか?」と、小田(おだ)さんは、うたがいをもつらしく、ただしました。
(おんな)(かがみ)(いのち)のごとく、たっとんだのは、わかっているが、(しゅ)として結婚(けっこん)してからのことで、婚約(こんやく)(かがみ)をおくったかどうか、よくわからない。約束(やくそく)をおもんじた(むかし)のことだから、たとえ(かがみ)をつかったとしても、ふしぎのないことだが、(ふる)文献(ぶんけん)をしらべたら、もっと、おもしろい発見(はっけん)が、あるかもしれない。」と、博士(はかせ)は、(こた)えながら、(あたま)をかしげていました。
「できることなら、この(かがみ)を、もとの墓所(ぼしょ)にうずめてやりたい。」と、いった(わか)助手(じょしゅ)のねがいを、考古学者(こうこがくしゃ)である博士(はかせ)は、ついに(ゆる)したのでした。
 助手(じょしゅ)小田(おだ)さんが、(かがみ)(あたら)しい木箱(きばこ)におさめて、北国(ほっこく)旅立(たびだ)ったのは、(なつ)もなかばすぎた()のことで、烏帽子岳(えぼしだけ)のいただきから、奇怪(きかい)姿(すがた)をした入道雲(にゅうどうぐも)が、平野(へいや)()おろしながら、(うみ)(ほう)へと、むかっていくところでありました。

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