馬を殺したからす
小川未明
北の海の方にすんでいたかもめは、ふとして思いたって南の方へと飛んできました。途中でにぎやかな街が下の方にあるのを見ました。そこにはおほりがあって、水がなみなみと青く、あふれるばかりでありましたから、しばらくそこへ下りて暮らしました。
この街は、この国の一番の都でありまして、人々はそのほりの中にすんでいる魚を捕ることができなく、また下りている鳥を撃つことができないおきてでありましたから、かもめには、このうえなく都合がよく、暮らしいいところでありました。
ほりの中にいる魚は、それは北の海にいる魚の味とは較べものになりません。どろ臭くて骨が堅うございましたけれど、容易に捕ることができましたので、荒波の上で、仕事するように骨をおらなくてすんだのであります。
かもめは、もうずっと南の方へいくという考えは捨ててしまいました。だいいち、人間というものが、ここにいても、すこしも怖ろしくありませんので、水もそのわりあいに暖かであるし、その年の冬は、この街の中で暮らそうと考えました。
かもめは、さまざまな街のにぎやかな光景や、できごとなどを見守りました。そして、こんなおもしろいところがこの世界にあるということを、ほかの鳥らはまだ知らないだろう。よく、よく、この有り様を記憶しておいて、彼らに教えてやらなければならないなどと空想しました。
寒い冬が過ぎて、春になると、ほりばたの柳が芽をふきました。そして、桜の花が美しく咲きました。このころが、都もいちばんにぎやかな時分とみえて、去年の秋以来見なかった景気でございました。
うかうかとしているうちに、春も過ぎてしまいました。子供らがそれでも隠れてこのほりにときどき釣りなどにやってくる夏となりました。いままで、かもめはなんの不足もなく、また考えることもなく暮らしてきましたが、このころからようやく考えはじめました。それは、ほりの水の中にすんでいたかもめは、ふたたび青い、青い、海が恋しくなったからです。風が強く吹いて、波が岩角に白く、雪となってはね上がり、地平線が黒くうねうねとして見える海が恋しくなりました。
かもめは、北の方の故郷に帰ろうと心にきめました。そして、その名残にこの街の中の光景をできるだけよく見ておこうと思いました。ある太陽の輝く、よく晴れた日の午前のことでありました。白いかもめは、都の空を一まわりいたしました。すると、大きな木のこんもりとした社の境内を下にながめました。子供らが豆を買って、地面の上に群がっているはとに投げやっていました。
かもめはそれを見ると、まったく驚きました。都というところは不思議なところだ。ここにさえいれば、遊んでいても暮らしていくことができるのだ思いました。
ついに、このかもめは、北をさして長い旅に上りました。彼は、去年きた時分のことなどを思い出していろいろの感慨にふけりました。高山を一つ越えて、もうやがて向こうに海が見えようとするころでありました。かもめは、一羽のからすに出あいました。
からすはカーカーとなきながら、やはり里の方をさして飛んでゆくところでありました。おしゃべりのからすはすぐ、自分の上を飛んでゆくかもめを見つけて、声をかけずにいられませんでした。
「かもめさん、かもめさん、たいへんにお疲れのようだが、どこへいっておいでになりました。」と、からすは問いました。
すると、かもめは、急ぐ翼をゆるくして、からすとしばらくの間道連れになりました。
「私は二、三日前に、ずっと南の都から出立しました。去年の冬はにぎやかな都で送りました。もう夏になって、北の海が恋しくなったので帰るところですよ。」と、かもめは答えました。
「それは、いいことをなさいましたね。私などは、いつもこんなさびしい田舎にばかり日を暮らしています。いつになったら、そんなところへいってみられるかわかりません。」と、からすは歎息いたしました。
「なんのいけないことがあるもんですか、あなたの心がけですよ。幾日も、幾日も、南をさしてゆけば、しぜんにいかれますよ。」と、かもめはいいました。
「たとえ、そこへいっても、どうして食べていけるかわかりません。石を投げつけられたり、みんなに目の敵にされていじめられるばかりです。」と、からすは身の不運を歎きました。
かもめは、都では、はとがみんなにかわいがられて、子供らから豆をもらって、平和にその日を遊び暮らしていることを話しました。
「どうしてほかの鳥は、みんなそう幸福なのでしょう。」と、からすはうらやみました。
するとかもめは、からすをなぐさめて、いいますのには、
「からすさん、私の見たはとの中には、ちょうどあなたのように、色の真っ黒く見えるのがありましたよ。だから、あなたも知らぬ顔をして、その仲間入りをしていられたら、だれも不思議に思うものはありますまい。ひとつ都にいって、大胆にそうなさってはいかがですか。」と、かもめはいいました。
「そうですか、ひとつ考えてみましょう。」と、からすは答えました。
やがて、かもめとからすとは、別れてしまいました。かもめは海の方にゆき、からすは里の方にゆきました。かもめは、いつしか、昔と同じ生活をしましたけれど、からすは里へいっても、あまりおもしろいことはありませんでした。いつか、かもめから聞いたことを思い出して、
「都へいって、はとの仲間入りをすれば、なにもせんで楽に暮らしていける。」と、考えましたので、ついにその気になって、南に向かって旅立つことにいたしました。
からすは、かもめのように空を高く、また速く飛ぶことはできませんでした。それでも幾日かかかって、にぎやかな都に到着いたしました。
「なるほど、にぎやかなきれいなところだ。いつも、お祭り騒ぎをしているところだ。」と、思いました。
からすは、さっそく、社の境内へ飛んでゆきました。するといままで、見慣れない鳥が近くにやってきたので、気の弱いはとは、一時に騒ぎたてました。からすは、これは困ったと思いました。見るとかもめのいったように、黒っぽい色のはともいました。これはだんだん彼らに馴れていかなければならぬと、初めは離れたところで、からすは地面に降りて餌を探していました。