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さかずきの輪廻(2)

时间: 2022-11-03    进入日语论坛
核心提示: さだめし高価こうかのものであろうと思おもいながら聞きいてみますと、はたして相当そうとうな値あたいでした。しかし、ほしい
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 さだめし高価こうかのものであろうとおもいながらいてみますと、はたして相当そうとうあたいでした。しかし、ほしいとおもったものは、無理むりをしてもにいれなければ、のすまないのが、こうした好事家こうずかつねであります。おとこは、それをもとめて、うちかえりました。
かれは、どんなに、その一つのさかずきをれたことを、うれしくおもったでしょう。
「どうして、このうすいさかずきが、こわれずに、今日きょうまでのこっていてくれたろう。そして、ほかのひとにとまらずに、おれにとまってくれたろう? 不思議ふしぎにも、また、ありがたいことだ。きっと、世間せけんひとは、利助りすけという名人めいじんをまだらないからだろう。これにいてあるねずみのはどうだ? このあいえていて、いまにもにおいそうなこと、金色きんいろの――ちょうのはねいろどった、ただ一てんではあるが、――けそうに、あかみのあるひかりふくんでいること、ほんとうに、おどろくばかりだ。」
かれは、さかずきをったまま、ぼんやりとしていました。まちがたとなりました。さまざまの物売ものうりのごえがきこえてきたり、また人々ひとびと往来おうらい足音あしおとがしげくなって、あたりは一はざわめいてきました。こうして、やがては、しっとりとした、しずかなよるにうつるのでした。
かれは、この黄昏方たそがれがたに、じっとさかずきをって、見入みいりながら、利助りすけというような名人めいじんが百年前ねんまえむかし、このなか存在そんざいしていたことについて、とりとめのない空想くうそうから、ゆめるような気持きもちがしたのです。
かれは、うれしさをとおりこして、あるさびしさをすらかんじました。そして、よる燈火あかりしたぜんえて、毎晩まいばんのように徳利とくりさけを、そのは、利助りすけのさかずきに、うつしてみたのです。
「まあ、これをい。ねずみがいて、いまにもしそうだ。」
かれは、家内かないのものをんで、利助りすけつくったさかずきのなかをのぞかせました。
みんなは、陶器とうきについて、見分みわけるだけの鑑識かんしきはなかったけれど、そういわれてのぞきますと、さすがに名人めいじんさくだというこりました。
「ねずみのしたにある、のなっていますくさは、なんでございましょうか?」と、女房にょうぼうはきいた。
「これは、やぶこうじだ。なんといいではないか。」と、かれは、こうこたえてとれました。
「ようございますこと。」
「ここが、名人めいじんじゃ、自然しぜんおもむきが、こんなちいさなさかずきのなかにあふれているかんじがする。」
「しかし、よく、こんなさかずきが、つかりましたものでございますこと。」
なかには、ほんとうのあきというものはすくないのだ。」
「いくら、名人めいじんましても、ほんとうにわかるひとがなければ、られずにしまうのでございましょうね。」
「そうだ。」
かれは、こんなはなしをして、当座とうざは、名人めいじんつくったさかずきが、にはいったことをよろこんでいました。
「このさかずきだけは、わらないようにしてくれ。」と、かれは、家内かないのものに、よくいいきかせました。
女房にょうぼうをはじめ、家内かないのものは、そのさかずきをあつかうことがおそろしいようながしました。
「どうか、このさかずきは、はこにいれて、しまっておいてくださいませんか。わるとたいへんでございますから。」と、女房にょうぼうは、あるとき、かれかっていったのでした。
かれは、しばらく、だまってかんがえていました。そして、あたまげて、おだやかなかおつきをして女房にょうぼうました。
注意ちゅういをして、それでわったときはしかたがない。なるほど、このさかずきもたいせつなしなには相違そういないが、人間にんげんは、もっとたいせつなものをどうすることもできないのだ。こうして、このさかずきを愛撫あいぶするわたしどもも、いつまでもこのなかきてはいられるのでない。さかずきも大事だいじだが、だれのちからでもそれより大事だいじ自分じぶんいのちをどうすることもできないのだ。そのことをおもえば、なにものにも万全ばんぜんすることはかなわないだろう。」と、かれはいいました。
ながあいだ江戸時代えどじだい泰平たいへいゆめやぶれるときがきました。江戸えど街々まちまち戦乱せんらんちまたとなりましたときに、この一人々ひとびとも、ずっととおい、田舎いなかほうのがれてきました。そして、そこで、余生よせいおくったのであります。
江戸えどから、田舎いなかへのがれてくる時分じぶんに、みんないろいろなものをてて、のままでげなければなりませんでした。おんなは、平常ふだんたいせつにしていた、くしとか、こうがいとか、荷物にもつにならぬものだけをち、おとこは、羽織はおり、はかまというように、ほかのものをっては、なが道中どうちゅうはできなかったのです。
しかし、かれは、利助りすけのさかずきをってゆくことをわすれませんでした。田舎いなかひととなりましてからも、かれは、利助りすけのさかずきをしてながめることによって、さびしさをなぐさめられたのであります。
こうして、かれは、晩年ばんねんおくりました。そして、高齢こうれいでこのなかからったのであります。かれが、なくなっても、そのさかずきだけは、完全かんぜん姿すがたのちまでのこりました。
かれ女房にょうぼうは、いまおばあさんとなりました。そして、彼女かのじょが、きながらえているあいだは、毎晩まいばんのように、利助りすけのさかずきにさけをついで、これを亡父ぼうふ御霊みたままつってある仏壇ぶつだんまえそなえました。
「おとうさんは、このさかずきがおきで、毎晩まいばんこのさかずきでおさけをめしあがられたのだ。」と、彼女かのじょは、いいながら、線香せんこうてて、かねをたたきました。
そのそばで、老母ろうぼのするのをていた子供こどもらは、
「そのさかずきは、いいさかずきなんですか。」と、ききました。
「ああ、なんでもいいさかずきだと、おとうさんはいっていられた。これをわらないように大事だいじになさいよ。これだけが、このうちたからだと、いってもいいんだから。」と、老母ろうぼはいいました。
子供こどもらは、うなずきました。そして、そのさかずきを大事だいじにしました。
やがて女房にょうぼうも、このからるときがきました。子供こどもらは、はは御霊みたまをも亡父ぼうふのそれといっしょに仏壇ぶつだんなかまつったのであります。そして、はは生前せいぜん毎晩まいばんのように、さけをさかずきについであげたのをていて、ははのちも、やはり仏壇ぶつだんさけをさかずきについであげました。
あるときは、仏壇ぶつだんに、あかくなった南天なんてん徳利とくりにさされてがっていることもありました。そして、そのあおあかのささったした利助りすけのさかずきは、なみなみとこはくいろさけをたたえてそなえられていました。
あるときは、きよらかな、ひびきのんだ、かねおとが、ちょうどさかずきのさけうえわたって、そのさけいけがひじょうにひろいもののようにかんじられることもありました。そして、ろうそくの火影ほかげがちらちらとさかずきのふちや、さけうえうつるのをて、そこには、この現実げんじつとはちがった世界せかいがあり、いまその世界せかいが、夕焼ゆうやけのなかにまどろむごとくおもわれたこともありました。
子供こどもらは「ほとけさまのさかずき」だといって、そのさかずきをたいせつにしていました。そのさかずきをみだりにってみることも、けがれるからといってはばかりました。
さかずきは、仏壇ぶつだんのひきだしのなかに、いつもていねいにしまわれてありました。そして、晩方ばんがたになるとされてさけをついでげられました。やがて、ろうそくのがともりつくした時分じぶんに、かねをたたいて、さかずきのさけは、べつのさかずきのなかうつされました。
「おじいさんのめしあがったあとさけは、あじがうすくなった。」といって、息子むすこは、そのさけ自分じぶんめみました。
大事だいじなさかずきだからというので、息子むすこが、そのさかずきにさけをついでげたり、また、ろさなかったときは、かれ女房にょうぼうがいたしました。女房にょうぼうは、しんちちはは子供こどもではなかったけれど、もっともよく息子むすこ心持こころもちを理解りかいしていたからです。そして、いつしか、かれおなじように、先祖せんぞれいたいして、それをなぐさむることをおこたらなかったからです。
しかし、たとえ、いかように、こころづくしをしても、もう、んでしまったひとは、永久えいきゅうにものをいわなければ、こたえもしない。仏壇ぶつだんに、ささげられたさかずきのさけは、ほんとうに一てきげんじはしなかったのです。
きなさけげても、おとうさんは、めしあがらなければ、お菓子かしげても、おかあさんは、おきだったのに、めしあがりはなさらない。」と、息子むすこは、あるときは、仏壇ぶつだんまえって、なみだぐんでしみじみといったことがありました。
田舎いなかは、変化へんかとぼしいうちに月日つきひはたちました。ふゆさむあさ仏壇ぶつだんに、燈火あかりがついているときに、そとほうでは、子供こどもらが、ゆきうえたこげている、とうのうなりごえがきこえてくることがありました。ゆきこおって、子供こどもらは、自由じゆうに、あちらこちらんであるきました。
 
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