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さかずきの輪廻(4)

时间: 2022-11-03    进入日语论坛
核心提示:「どうせ、あのたばこ入いれの飾かざりや、帯止おびどめの銀ぎんの金具かなぐは、たいした値ねにもならないだろうが、もしあのさ
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「どうせ、あのたばこれのかざりや、帯止おびどめのぎん金具かなぐは、たいしたにもならないだろうが、もしあのさかずきが、いいさかずきであったなら、になるかもしれない。しかし、いつかおじいさんにせたら、あまりほめていなかった。それでも、みんなひとまとめにしてったら、いくらかのかねになるだろう。」と、かれおもいました。
まごは、東京とうきょうると、じきにものってしまったのです。
「いくら、本物ほんものでも、さくのできがよくなければ、になるものではありません。これは、さくのできがよくありません。このほうは、よごれていますからだめです。これですか、こいつは、わたしに、鑑定かんていがつきません……。」
そんなふうに、骨董屋こっとうやから、まことしやかにいわれて、ものは、やす手放てばなしてしまいました。
それで、かれは、こんどは、正直しょうじき人間にんげんらなければならぬとおもいました。
「りっぱなみせっている骨董屋こっとうやのほうが、かえって、人柄ひとがらがよくないかもしれない。だれか正直しょうじきそうな古道具屋ふるどうぐやんできてせよう。」
かれは、そうおもいました。
かれは、かけてゆきました。そして、みみのすこしとおい、こえのすこしはなにかかる、がったおとこれてきました。おとこは、無造作むぞうさに、毎日まいにち、ぼろくずや、古鉄ふるてつなどをいじっているあらくれたで、かれした、金銀細工きんぎんざいくかざりとさかずきとを、かわるがわるってながめていました。
「こちらのかざりだけを×××××でいただきましょう。このさかずきは、どうでもよろしゅうございます。」と、古道具屋ふるどうぐやはいいました。
かれには、このとき、ふたたび田舎いなかにいる時分じぶん近所きんじょ物知ものしりのおじいさんが、「これは、たいしたものではない、ただふるいからいいのだ。」といった、その言葉ことばおもされたのです。
文明ぶんめいのこの社会しゃかいまれながら、むかしのものなぞをありがたがるのは、じつにくだらないことだと、かれ簡単かんたんかんがえたのであります。
「このさかずきも、つけてやろう。」と、かれはいってしまいました。
古道具屋ふるどうぐやは、それを格別かくべつ、ありがたいともおもわぬようすで、金銀細工きんぎんざいくかざりといっしょにってゆきました。
このさかずきのことがわすれられた時分じぶんかれは、あるなにかの書物しょもつで、利助りすけという、あまりひとられなかった陶工とうこう名人めいじんが、むかし京都きょうとにあったということをみました。そして、つよむねかれました。なぜなら、かれいえむかしからあった、あのさかずきには、たしかに利助りすけというがはいっていたからです。
「そうだ、あのさかずきには、利助りすけがしるしてあった。また、ほんには、ねずみや、はなや、とりなどをよくいたとあるが、たしかに、あのさかずきのはねずみであった。」と、かれおもったのでした。
かれは、ほんとうに、とりかえしのつかないことをしたとったのです。それにつけて、近所きんじょ物知ものしりのおじいさんが、そのじつ、なにもっていないのを、るもののごとくしんじていたのをうらめしく、おろかしくおもいました。
「なぜ、むらひとたちは、あのおじいさんのいったことをしんじたろう。そうでなかったら、自分じぶんしんずるのでなかったのだ。」と、後悔こうかいをしました。
また、「なぜ、自分じぶんは、さかずきを、あんなもののよくわからない、古道具屋ふるどうぐやなどにせたろう? もっといい骨董屋こっとうやにいってせたら、あるいは、利助りすけという名工めいこうっていたかもしれない。」と、かれはそのときとは、まったく反対はんたいのことをかんがえました。
かれは、こうなっては、だれをにくむこともできなく、みずからをにくみました。
かれは、また、「自分じぶん祖父そふは、よほど、趣味しゅみふかい、ききであった。」とおもいました。そして、かれは、そうおもうと、いままでかんじなかった、なつかしさを、祖父そふたいしてかんずるようになったのです。
にも、そのかずすくない利助りすけさくを、祖父そふにいれて、それをあいしたこと、そのさかずきはながあいだふるびた仏壇ぶつだんのひきだしのなかれてあったのを、自分じぶんが、むざむざしててるように、この東京とうきょうのつまらない古道具屋ふるどうぐやにやってしまったとかんがえると、かれはなんとなくすまないような、またとりかえしのつかないようなくやしさをかんじたのです。そして、どうかして、それをさがさなければならないとおもいました。
まごは、さっそく、いつか自分じぶん宿やどんできた古道具屋ふるどうぐやへたずねてゆきました。そして、二、三か月前げつまえにやった、さかずきは、まだみせいてないかと、あたりに古道具ふるどうぐがならべてあるのをまわしてからききました。
「あれは、すぐれてしまいました。」と、みみとおい、がったおとこは、とがったかおつきをしてこたえました。
「だれが、っていったか、わからないでしょうか?」と、かれは、なんとなく、あきらめかねるのできました。
「あなた、このひろ東京とうきょうですもの……。」といって、おとこは、きつねのようなかおつきをして、皮肉ひにくわらかたをしたのです。
かれは、それにたいして、このときだけは、おこ勇気ゆうきすらありませんでした。
「なるほどそうだ。」とおもいました。
東京とうきょうまちは、ひろいのでした。大海たいかいに、いしげたようなものです。ちいさな、一つのさかずきはこの繁華はんかな、わくがように、どよめきのこる都会とかいのどこにいったかしれたものではありません。
そうかんがえると、かれは、絶望ぜつぼうかんずるより、ほかにはないのでした。
しかし、また、それは、どこかに存在そんざいしなければならぬものでした。
そのさかずきを、ったひとは、日本橋にほんばし裏通うらどおりにんでいる骨董屋こっとうやでありました。そのひとは、まことにおもいがけないものをしたとよろこびました。そして、みせかえってから、そのさかずきをこまかな美術品びじゅつひんといっしょに、ガラスりのたなのなかおさめて陳列ちんれつしました。
江戸時代えどじだいのあの時分じぶんから、東京とうきょうのこの時代じだいいたるまで、また、いくねんをたちましたでしょう。
さかずきは、それでも、無事ぶじに、ふたたび江戸時代えどじだいわらない、東京湾とうきょうわんちかい、そらいろを、まちなかからながめたのであります。そして、またここで、日影ひかげのうすい、一にちをまどろむのでした。
さかずきにとって、田舎いなかへいったこと、仏壇ぶつだんさけをついでげられたこと、毎日まいにち毎日まいにち女房にょうぼうかねをたたいたこと、はこおさめられてから、くらい、ひきだしのなかにあったこと、それらは、ただいっぺんのゆめにしかぎませんでした。
さかずきには、いえまえをかごがとおったことも、いま人力車じんりきしゃとおり、自動車じどうしゃとおることも、たいした相違そういがないのだから、無関心むかんしんでした。
ただ、あるのこと、太鼓たいこおとと、ふえと、御輿みこしをかつぐ若衆わかしゅうごえをききましたので、しばらくとおかなかった、なつかしいこえをふたたびくものだとおもいました。
そして、自分じぶんは、またどうして、おなところかえってきたろうかとうたがいました。
はかない、薄手うすでのさかずきが、こんなに完全かんぜん保存ほぞんされたのに、そのあいだに、このまちでも、このなかでも、いくたびか時代じだい変遷へんせんがありました。あるものは、まれました。またあるものは、んではかにゆきました。
それが、さかずきにとって、芸術げいじゅつちからでなくて、偶然ぐうぜん存在そんざいだと、なんでいうことができましょう。
このまちでは、ちょうどむかしからの氏神うじがみさまの祭日さいじつたるのでした。そして、いつも、むかしわらないもよおしをするのでした。
おりも、おり、れいまごは、このこのまちとおりかかりました。そして、はなやかな、まつりの光景こうけいて、自分じぶんいえ祖父そふまでは、この東京とうきょうんでいたのだなとおもいました。
御輿みこしとお前後ぜんごに、いろいろなかざものとおりました。そのうちに、この土地とちわか芸妓連げいぎれんかれて、山車だしとおりました。山車だしうえには、かおにしたおじいさんが、ひと人物じんぶつあいだって、このまちなか見下みおろしていました。
かれは、この山車だしうえの、かおあかくした、ひとのよさそうなおじいさんをているうちに、自分じぶんのお祖父じいさんのことなどをおもいました。自分じぶんは、そのお祖父じいさんのかおらなかったけれど、たいへんにさけきなひとで、いつもあかかおをしていたということをいていました。また趣味しゅみふかかったひとでもありました。利助りすけのさかずきは、そのお祖父じいさんの愛用あいようしたものだとおもすにつけて、かれは、なんとなくお祖父じいさんをかぎりなくなつかしくおもいました。
「きっと、お祖父じいさんも、あの山車だしうえっているようなおじいさんであったろう。」と、かれおもいながら、まちぎる山車だしをながめていました。
わかい、派手はでやかなよそおいをしたおんなたちが、なまめかしいはやしごえ山車だしくと、山車だしうえ自分じぶんのおじいさんは、ゆらゆらとあかかおをしてられました。
おじいさんは、にこやかに、まちなかのようすをわらいながらながめていました。そして、山車だししたとおくるまや、仰向あおむいてゆく人々ひとびとに、いちいち会釈えしゃくをするように、くびをっていました。
山車だしうえのおじいさんは、両側りょうがわみせをのぞくように、そして、その繁昌はんじょういわうように、にこにこして見下みおろしました。やがて、山車だしは一けん骨董店こっとうてんまえとおりました。そのみせにはガラスだなのなかに、利助りすけのさかずきが、めずらしい物品ぶっぴんといっしょに陳列ちんれつされているのでした。
山車だしうえのおじいさんは、そのまえにくると、一だん、くびを前後ぜんごりましたが、やがて、わかおんなのはやしごえとともに、そのまえをもむなしくとおしてしまいました。
あとには、ただ、永久えいきゅうに、あおそらいろんでいました。そして、たなのなかには、ねずみをいた、金粉きんぷんひかりあわ利助りすけのさかずきが、どんよりとした光線こうせんなかにまどろんでいるのでした。
こうして、たがいにうたものは、また永久えいきゅうわかれてしまいました。いつまた、おじいさんと利助りすけのさかずきとまごとが、相見あいみるときがあるでありましょうか。
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