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三匹のあり

时间: 2022-11-03    进入日语论坛
核心提示:三匹のあり小川未明 川(かわ)の辺(ほとり)に、一本(ぽん)の大(おお)きなくるみの木(き)が立(た)っていました。その下(した)にあ
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三匹のあり

小川未明


 (かわ)(ほとり)に、一(ぽん)(おお)きなくるみの()()っていました。その(した)にありが()(つく)りました。どちらを()まわしても、広々(ひろびろ)とした(はたけ)でありましたので、ありにとっては、(おお)きな(くに)であったにちがいありません。
 ありには、ある(とし)、たくさんな子供(こども)()まれました。それらの子供(こども)のありは、だんだんあたりを(あそ)びまわるようになりました。するとあるとき、それらの()ありのお(かあ)さんは、子供(こども)らに()かっていいました。
「おまえがたは、あのくるみの()(のぼ)ってもいいけれど、けっして、(あか)くなった()につかまってはならぬぞ。いまは、ああしてどの()()ても、()(さお)だけれど、やがて(あき)になると、あの()が、みんなきれいに(いろ)がつく、そうなると(あぶ)ないから、きっと()(うえ)にとまってはならぬぞ。」と、(いまし)めたのでありました。
 ある()のこと、五(ひき)()ありが(そと)(あそ)んでいて、(おお)きなくるみの()見上(みあ)げていました。
「なんという(おお)きな()だろう。こんな()が、またとほかにあるだろうか。」と、一(ぴき)のありがいいました。
「まだ世界(せかい)には、こんな()がたくさんあるということだ。これより、もっと(おお)きな()があるということだ。」と、ほかの一(ぴき)()ありがいいました。
「お(とう)さんや、お(かあ)さんは、あの()のてっぺんまで、お(のぼ)りになったといわれた。(ぼく)たちも、どこまでいけるか(のぼ)ってみようじゃないか。」と、ほかの一(ぴき)のありがいいました。ついに五(ひき)()ありは、(おお)きなくるみの()(のぼ)っていきました。そこで、中途(ちゅうと)までいった時分(じぶん)には、五(ひき)とも(つか)れてしまって、しばらく、(えだ)(うえ)(やす)んで、物珍(ものめずら)しげに、あたりの景色(けしき)などをながめていました。
「なんという、(おお)きな(かわ)だろうか。」といって、一(ぴき)のありは(した)()おろしていました。
「なんという(ひろ)野原(のはら)だろう。」と、ほかの一(ぴき)(おどろ)いていいました。太陽(たいよう)は、ちょうど()のてっぺんに(かがや)いていました。するとそのとき、
「あの(えだ)に、あんなにきれいな()があるじゃないか。あのそばまでいってみよう。」と、一(ぴき)のありが(さけ)びました。
 二(ひき)のありは、あの(あか)()こそ危険(きけん)だと、お(かあ)さんやお(とう)さんがいわれたのだから、ゆくのはよしたがいいといいました。けれど、ほかの三(びき)のありは、どうしてもいってみるといいはりました。
 二(ひき)()ありは、そこから三(びき)のお(とも)だちに(わか)れて()(うえ)(かえ)ることになりました。そこには、こいしいお(かあ)さんやお(とう)さんがすんでいられました。そして、三(びき)()ありは、(あか)(うつく)しい()目指(めざ)して(のぼ)っていきました。三十(ぷん)ともたたないうちです。(かぜ)がきますと、いままでの、(うつく)しい(あか)()は、ぱたりと(えだ)から(そら)(はな)れて、ひらひらと()って、(した)(かわ)(なか)()ちてしまいました。いうまでもなく、その(あか)()(うえ)には、三(びき)()ありがとまっていたのでした。
 三(びき)のありは、あまり不意(ふい)なことにびっくりしましたが、()がついたときには、(あか)()(うえ)()って、(かわ)(うえ)(なが)れていたのです。三(びき)のありは、いまはじめてお(かあ)さんが、(あか)()(うえ)()ってはいけないといわれたことを(さと)りましたけれど、どうすることもできませんでした。
「さあ、どうなることだろう。」と、三(びき)のありは、心細(こころぼそ)くなって思案(しあん)をしました。()てしなく、(かわ)(みず)は、()(かがや)いて野原(のはら)(なか)(なが)れていました。どうして、どこへゆくというようなことなどが、(ちい)さなありに(かんが)えがつきましょう。三(びき)のありは、一つところに(かた)まってふるえていました。そのうちに、また(かぜ)()いて、(あか)()(きし)()きました。三(びき)のありは、やっとそこからはい()がって、(あや)うく(いのち)(たす)かったのです。そこは、(おも)ったよりもいいところでした。(うつく)しい(はな)()いていました。きれいな(くさ)()えている(おか)もありました。三(びき)のありは、その()からはじめて、()らない土地(とち)()(つく)って(はたら)いたのです。幾日(いくにち)()がたつと、このあたりの土地(とち)にも幾分(いくぶん)()れてきました。それにつけて、三(びき)のありは、父母(ふぼ)のすんでいる故郷(こきょう)を、こいしく(おも)ったのです。けれど、いくら(おも)っても、(かえ)ることができませんでした。三(びき)のありは、いつか、みんながお(とう)さんになったのであります。そして、三(びき)のありにも子供(こども)がたくさん()まれました。けれど、ありはけっして、子供(こども)らに()かって()(のぼ)っても、(あか)()()まっていいとはいいませんでした。やはり、(むかし)、お(とう)さんや、お(かあ)さんが自分(じぶん)たちを(いまし)めたように、
「おまえがたは、けっして、(あか)()につかまってはならない。」といったのです。
 それは、いくらしあわせになっても、お(とう)さんや、お(かあ)さんに、あわれないことは、なによりも不幸(ふこう)なことであったからであります。

 

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