事実と感想
小川未明
園の破産
学生の時分、暑中休暇に田舎へ帰って、百姓に接したときは、全くそこに都会から独立した生活があったように感じられたものです。
彼らの信じている迷信というものも、その人たちにとっては、不調和ということがなく、却って、そこに営まれつつある生活が、都会における物質的な文明から独立して、何ものか深い暗示と一種の慰藉を人生に与えるもののごとく感じられたのでした。
それは原始的にも神を怖れ、信じ、また忍従するものであって、やがてその精神は、相互扶助の道徳を生み、生長のいかんによっては、自治体をすら造らるべきものであったに相違なかったのです。
殊に今日田舎へ帰って見た時に、いっそう、当時が追懐されてなつかしさを覚えられたほど、いまは全く様子が変わってしまったのでした。それは、都会からずっと離れている処ならばいざ知らず、日に幾回となく汽車が通過して、そのたびに都会から流行品や、新聞、雑誌のようなものは勿論、また人間が降りたり乗ったりするのでは、常識的に考えても、田舎がいつまでも田舎の面目を保たれるということがない。
一国の景気、不景気は、中心の大都会も、田舎の小都市もほとんど同時に波動することからして、思想的にも経済的に、諸般の現象がいつまでも異なっている筈がなければ、またその対策の如きも同じからざるわけがなかったからです。
村から学校へ通う女学生の風俗すら、その時分と比較してみれば変わりようも甚だしければ、また弁当箱を下げて、近接した町の小会社や、工場へ通勤する青年の数も多くなったのに驚かされます。
これを見る時に、やがては田園は破産して工業化してしまうであろうと思うことは仮に早計であったとしても、資本主義化されつつあるのを感じないわけにはいかないのです。
真理の進行というものが、一定の段階を踏んで行くものであり、飛躍することもないかわりに、また何人の力をもってしても、その行進を停めることができないとしたら、またそのことが、すでに真理であるなら、今日の農村が、ふたたび原始的の状態に帰るものではないといわれたことがうなずかれる。
古い夢の減じつつある農村には、いまや新しい希望が生まれなければならぬ時に際会しています。その新しい希望は決して、無智と無自覚が幸福であった、その時代の生活ではない。いかに人類が共通せる悩みと苦痛から脱れうるかという問題にほかならないでありましょう。
文壇の転換期
ジャーナリズムが文壇を賑わしていたのであって、その糸を引いたものは、資本主義であった。そして個々の所謂、流行作家ではなかったということが、この頃になって、ようやく分かったもののようです。
資本力を有する雑誌は、新聞広告の上だけでも、新進作家を製造することが不可能でないばかりでなく、その作家の才能をもまた自由に、その雑誌向きの型にはめ得るだけの暴力を有している。私は敢えてこれを暴力という。作家がそれを自識せずに、自分の天分が社会を征服するなどと考えるものがあったらむしろ滑稽をきわめる。
なぜなら、彼らが、その資本主義的な雑誌から離れて、赤裸々に社会に呼びかける時に果たして幾何の作家が、同じほどの俗衆を自らの力で繋ぎえようか。
しかし作家たちは、それを知らざるのでない。すでに時勢の適応性に硬化した最も資本主義的なる雑誌は、いまはただ、随勢に動きつつあるばかりで、権威を有しないところから、被らは芸術のために、もう一つは自己存在のために、小雑誌の分裂を見たのである。このことは、明らかに既成文壇が崩落に向かって急ぎつつある、転換期におけることを示すものです。
実に現在の多くの芸術は、次の若い新しい時代に向かって呼びかけることは愚か、現在の人々をも満足するほどの感興と刺激を有しないものです。
これは、いかに悶えても知識階級の生活がすでに、何らの感激に値しないがためであるかぎり、いままでの作家からは、より以上に新味のある作品の容易に生産されないことを断言し得らるるものです。この点において、新興文学は、真のプロレタリアの生活の中に胚胎すると見らるべきである。言い換えれば、プロレタリアの生活と気魄とが、新しい文化を創造するに値するからでした。
童話作家たらん
「未明選集」の六巻目がこの四月にて完了した。材の取り扱い方、見方ともに、小説と童話とは異なっている。そして、いま私の頭は、同じ月のうちに、どちらをも書くということがだんだん苦しくなった。ゆえに、この選集を機会として自らもまた本領と信ずる童話に、余生の全体を尽くそうかと考えています。
五月八日
「早稲田文学」大正十五年六月号