春風遍し
小川未明
春先になれば、古い
まだ若かった私は、酒場の堅い腰掛の端にかけて、
店に居た彼女等は、何うしたであろう。もういい加減のお婆さんでいるにちがいない。空想には、時間も空間もないから、生々として、黒い瞳や、紅い唇が、眼の前に彷彿とするのであります。そればかりでなく、今も巷にさえ出かければ、どこかのレストランに、そのままの姿で働いている彼女達を見られるような気がするのであります。
「あなたは、どなたでしたか」と、相手の顔が分らぬので、
「おれも、同じく年をとった筈だ」とはじめて自分が反省されるのでした。
そう感ずると、自分の経験の貧困に対して、悔恨の情が湧くのであります。高い山に登らなかったのが、その一つでした。山岳美に恵まれた日本に生れながら、しかも子供の時より国境の山々を憧憬したものを。なぜ足の達者なうちに踏破を試みなかったか、ここにも無性が祟っている。畳の上に臥転んで、山の案内記を読み、写真をながめて空想に耽ることが、一層楽しかったからでもあります。夏の日郊外の植木屋を訪ねて、高山植物を求め帰り道に、頭上高く飛ぶ白雲を見て、この草の生えていた岩石重畳たる峻嶺を想像して、無心の草と雲をなつかしく思い、童話の詩材としたこともありました。一生のうちには、山へもいつか上る機会があるように漠然と考えていたのが、後悔を生ずる原因だったのです。しかし今は何もかもおそいという感じがします。そしてこれまで
いま私は陣々たる春風に顔を吹かせて、露台に立っています。
そして水盤の愛する赤い石をながめながら我が死後、幾何の間、石はこのままの姿を存するであろうかと空想するのでした。
するとこの松は如何、この蘭は如何という風にすべて生命あるものの齢について考えられるのでした。
中にも独り老木の梅が大事にする恩償として、今年も沢山花をつけて見せたが、目立つ枯枝にうたた憐憫の情を催おさざるを得なかったのであります。