天の橋立(あまのはしだて) (京都府宮津市)
天へ椅はしごをつくって立てかけたことに由来
京都府宮津市にある日本三景の一つ、「天の橋立」。その海浜の美しさは、まさに日本の風土そのものだが、海中に一本の橋のように砂さ嘴しがつづくという景色はやはり珍しい。
そんな天の橋立の地名の由来は、『丹たん後ごの国くに風ふ土ど記き(逸文)』にはこう記されている。
日本の国生みをなさったといわれる大神である伊い射ざ奈な藝ぎの命みことが高たか天まが原はらと行き来をするために椅はしご(梯子)をつくって(天に向かって)立てかけなさった。よって天の椅立というのである。ところが、伊射奈藝の神が寝ておられるあいだにその梯子が倒れ伏してしまった。
このように、天の橋立の由来は神話の世界にあるようだが、この書物は鎌倉中期、およそ一三〇一(正しよう安あん三)年以前に成立していた『釈しやく日に本ほん紀ぎ』に引用されている。『釈日本紀』は『日本書紀』(七二〇年撰)の注釈書であるから、そこから考えると、伊射奈藝が天に通おうとしてつくった梯子が倒れてできたという伝承は、すでに八世紀頃からあったということになる。
実際、天の橋立が人々の注目を集めはじめたのは、平安時代のなかば頃という。天の橋立は、歌枕となるなど歌人たちにも愛され、数多くの歌集にその名を残している。