天香久山(あまのかぐやま) (奈良県橿原市)
持統天皇が「衣ほしたり」と詠んだ山は輝いていた
「天香久山」は奈良県の中西部、橿かし原はら市東部にある小丘陵で、標高一五二メートル、JR桜井線香久山駅の南一キロの場所にある。畝うね傍び山、耳みみ成なし山とともに「大和三山」と呼ばれ、硬い岩盤の、侵食に耐えて残った残丘である。
また、この山は天香久山と書くだけでなく、香具山、賀久山とも記される。藤原京の東方を鎮護する神の山として、古来より崇敬を集めた歴史のある山だ。
地名の由来は諸説あるが、「かぐ」は「かがやく」(赫く)の意味で、「かぐわしい山」への信仰から発した古代語ともいわれている。
また、古くは『日本書紀』や『万葉集』にもすでに登場している。持統天皇は『万葉集』で、「春すぎて 夏来たるらし白たへの 衣乾したり 天の香具山」(『万葉集』巻一)と詠んだ。これは、百人一首でも親しまれている歌である。
『伊い予よの国くに風ふ土ど記き』の逸文によれば、天の山が二つに分かれて地上に降りてきたとき、そのうちの一つが「伊予国の天山」となり、もう一つが、「倭やまとの天香具山」になったという伝説が残っている。
天上から降りてきた神聖な山としての伝説があるので、天香久山の枕まくら詞ことばは、「天あ降もりつく」となったのだ。
『古事記』(神代巻)によると、天香久山の鹿骨とハハカの木で占せん卜ぼくをし、『日本書紀』(神代巻)には、この山の五い百ほ箇つの真ま坂さか樹きをもって幣にき帛てとするなど、つねに日本の歴史に残る書物に登場している。