女神山(めがみやま) (福島県川俣町)
「女神」とは、崇峻天皇の妃「小手姫」のこと
福島県は地形的要素から浜通り、中通り、会津と分けられ、この三つの地域は、風土も歴史もかなり異なっているといわれる。
川俣町は中通り、阿あ武ぶ隈くま高地の一画に位置する町である。
そしてこの地に、そのなだらかな姿を見せているのが「女神山」で、標高五九九メートルの小さな山だ。いかにも女神が宿りそうな山だが、名前の由来は女神でなく「お姫様」である。
そのお姫様とは、第三十二代崇す峻しゆん天皇の妃だった女性だ。夫が蘇そ我がの馬うま子こによって殺され、聖徳太子が推すい古こ天皇の摂政となったとき、彼女は馬子の手を逃れて東北に逃げた息子を追って当地にやってきたという。
彼女は、息子に会えないまま当地で生涯を終えるが、大きな宝をもたらした。小手郷と呼ばれていた、いまの川俣町、月つき舘だて町に機はた織おり技術を伝えたのである。その歴史からか、この川俣町では、近世には毎月二回も生き糸いと市・羽は二ぶた重え市が立ち、いまでも特産品は絹製品である。
彼女の死後、それを悼いたんだ土地の人たちは、亡きがらを女神山に葬った。その当時の山の名前はわかっていないが、このとき女神山と命名した事実は、地元の個人が所蔵していた文書に記されているという。その内容は、「小お手て姫ひめの開きたる高山なるが為に一名女神山と称す」というものであった。
たしかに女神山には、いまも山桑の木がみられ、そのうちの一本は地元の風習と結び付いている。この桑の芽を少しだけ摘んできて、刻んだものを蚕のエサに混ぜると、良質のマユがとれるのだという。また、養蚕農家の主婦が山籠りをして技術上達を祈願する風習もあったようだ。