欽明天皇が聖明王から献上された仏像をご覧になって、「私も、この柔和な面立ちの仏像を拝んでみたらどうであろうか」とおっしゃいました。これを聞いた開明派の蘇我稲目は喜んで、「西の諸国は、みなこれを礼拝しています。日本の国だけがどうして背くことができましょうか」と答えました。
しかし、国粋派の物部尾輿と中臣鎌子は、「わが国において帝位にある者は、つねに天地国家の百八十の神々を、春夏秋冬、祀り拝むのがお仕事です。今になって外国の神を新しく拝むならば、日本のカミの怒りを招いてしまいます」と申し上げました。これをお聞きになった天皇は、日本の神々の怒りに触れては大変と、拝仏は取りやめ、その仏像を稲目に預け、勝手に京都あたりでの流布を試みてみよとお命じになりました。