行基 (ぎょうき)
● 活やくした時代 668年~749年 飛鳥~奈良時代
● 活やくしたこと
668年 大阪府で行基が生まれる。
682年 行基が僧になる。
義淵(ぎえん)や道昭(どうしょう)のもとで仏教を学ぶ。
700年 行基の師の道昭が死ぬ。
701年 大宝律令(たいほうりつりょう)が完成する。
710年 平城京(へいじょうきょう 奈良県)に都が移る。
行基が農民のために池や橋、家などをつくったり、食料や薬など与えてほどこしをしたりする。
農民たちが行基のもとに集まる。
農民が朝廷の命令を聞かなくなるおそれが出てくる。
717年 朝廷が行基(ぎょうき)の活動を禁止する。
724年 聖武天皇(しょうむてんのう)が天皇になる。
727年 行基が大野寺(おおのでら)を建てる。
731年 朝廷が行基にしたがう老人にかぎって僧になることを許す。
737年 天然痘(てんねんとう ペスト)が大流行する。
天然痘と重税に苦しむ農民ために池や橋、家などをつくったり、食料や薬など与えてほどこしをしたりする。
行基菩薩(ぎょうきぼさつ)と呼ばれ、尊敬される。
743年 朝廷が大仏を作ることを決定する。
大仏づくりにはたくさんの資材と労働力が必要であり、朝廷の力だけでは足りず、
行基の人気が必要となる。
745年 行基が大僧正(だいそうじょう 僧の最高位)になる。
行基の指導のもと、大仏づくりが続く。
749年 病死する。(82才)
752年 東大寺の大仏が完成する。
● 人 物 評
行基(ぎょうき)がおこなった行動は、本当に尊敬にあたいする。この時代の僧と言えば、寺院の中でお経をとなえ、朝廷における自分の地位の出世のことばかり考えている者が多かった。そのような中で行基は寺院の外に出て、重税と天然痘(てんねんとう)に苦しむ農民を助けるために奉仕(ほうし)をした。このような行動は、現代の我々でさえも簡単にできるものではない。このような行基を、民衆が菩薩(ぼさつ)と呼んだのも無理はない。この世を平安に導くために聖武天皇(しょうむてんのう)は大仏づくりを計画したが、実際に大仏づくりの先頭に立ったのは行基であった。行基の力なくして、東大寺の大仏は完成しなかったであろう。行基の行動は、現代でも見習う点が多々あると考える。