聖武天皇 (しょうむてんのう)
● 活やくした時代 701年~756年 奈良(なら)時代
● 活やくしたこと
701年 文武天皇(もんむてんのう)の長男として生まれる。
707年 文武天皇がなくなる。
710年 都を平城京(へいじょうきょう)に移す。
714年 皇太子になる。
藤原不比等(ふじわらのふひと)や長屋王(ながやおう)が政治を担当する。
720年 藤原不比等が死ぬ。
723年 三世一身の法(さんぜいっしんのほう)を出す。
新しく切り開いた土地は、本人、子、孫の三代まで自分のものにすることを認める法律
「すべての土地と人民は天皇のもの」という基本がくずれる。
724年 聖武天皇が天皇になる。
729年 藤原不比等の娘の光明子(こうみょうし)が聖武天皇の皇后(こうごう)になる。(光明皇后)
藤原不比等の4人の息子が政治を補佐する。
長屋王(ながやおう)が権力あらそいにやぶれ、殺される。
737年 天然痘(てんねんとう ペスト)が大流行する。
天然痘(ペスト)で藤原不比等の4人の息子が全員死ぬ。
橘氏(たちばなし)、大伴氏(おおともし)、藤原氏(ふじわらし)などの貴族の権力あらそいが大きくなる。
740年 九州の太宰府(だざいふ)で藤原広嗣(ふじわらの ひろつぐ)が反乱をおこす。
740年~745年 平城京(へいじょうきょう)をでて都を転々と移動する。
741年 各国に国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)を建設する。
743年 大仏の建設を計画する。
墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)を出す。
新しく切り開いた土地は、自分のものにすることができる法律
貴族の土地(荘園 しょうえん)が増える。
「すべての土地と人民は天皇のもの」という基本が完全にくずれる。
天皇の力が弱まり、貴族の力が強くなる。
749年 娘を孝謙天皇(こうけんてんのう)にする。
752年 大仏が完成する。
756年 死 去(56才)
● 人 物 評
聖武天皇は心の底から平和な時代を願っていたのであろう。貴族のあらそい、貴族の反乱、天然痘(てんねんとう ペスト)の大流行、公地公民制の崩壊と地獄のような世の中に光を見出したいという希望から大仏をつくったのであろう。だが、740年~745年にかけて、都の建設、国分寺(こくぶんじ゙)の建設、大仏の建設と大きな建設が立て続けに続いている。建設を実際に行うのは農民であり、租・庸・調(そ・よう・ちょう)の税を納めながらの建設は農民に多大な労苦と重圧を与えることとなった。その辺のところが、聖武天皇にはわかっていなかったのではないだろうか? 自分が建設を進めれば進めるほど、農民は逆に苦しむことを・・・・・。皮肉なことに、これ以後、天智天皇(てんじてんのう 中大兄皇子)がつくり出した公地公民制はくずれ、天皇の力は弱まっていくことになる。