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源義経

时间: 2015-07-30    进入日语论坛
核心提示:悲劇(ひげき)の若き源氏の英雄源義経 (みなもとの よしつね)※ 幼名 牛若丸(うしわかまる)● 活やくした時代   1
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悲劇(ひげき)の若き源氏の英雄
源義経 (みなもとの よしつね)
※ 幼名 牛若丸(うしわかまる)
 
● 活やくした時代   1159年~1189年  平安時代
 
● 活やくしたこと
 
  1159年 源義朝(みなもとの よしとも)の9男として生まれる。
 
  1159年 平治の乱(へいじのらん)がおこる。
 
  1169年 僧にするために京都の鞍馬寺(くらまでら)に入れられる。
        伝説では、このころに百人力の弁慶(べんけい)に出会う。        
 
  1174年 鞍馬寺からにげ出し、東北地方の藤原秀衡(ふじわらの ひでひら)のもとにいく。
 
  1180年 兄の源頼朝(みなもとの よりとも)が伊豆(いず)で兵をあげると頼朝のもとにかけつけ、頼朝に会う。
                    
  1184年 源頼朝の命令で、兄の源範頼(みなもとの のりより)とともに平氏の軍を追い、戦いをつづける。(源平合戦)(げんぺいがっせん)
 
         平氏(へいし)を京都から追いはらう。
 
        一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)で平氏をうちやぶる。
        平氏の軍の背後の急な坂を馬でかけおり、奇襲(きしゅう)したのは有名な話
 
  1185年  屋島の戦い(やしまのたたかい)で平氏をうちやぶる。
 
  1187年 藤原秀衡(ふじわらの ひでひら)をたよって、東北地方の平泉(ひらいずみ)にのがれる。
 
  1189年 藤原秀衡の子の藤原泰衡(ふじわらの やすひら)のうらぎりにあい、自害する。(31才)
 
● 人 物 評
  源義経(みなもとのよしつね)は悲劇(ひげき)の英雄(えいゆう)と言われる。戦争の天才で、若くてハンサムとくれば、だれでも源義経をひいきしたくなる。逆にその源義経をうった兄の源頼朝(みなもとの  よりとも)は、いいようには言われないことであろう。確かに、源義経は戦争の天才であった。どの戦いも意表をつく作戦で平氏をうちやぶっている。だが、こと政治に関係したことになると、その天才ぶりがあらわれない。源頼朝のゆるしもえないで、検非違使(けびいし)に任命されたり、平氏の娘を妻にしたりと、少し考えれば、源頼朝がおこるであろうことがわかっていない。源義経にとっての悲劇(ひげき)は、政治的なセンスがなかった点であろう。
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