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北条泰時

时间: 2015-07-30    进入日语论坛
核心提示:鎌倉幕府の基礎(きそ)を築いた名執権(めいしっけん)北条泰時 (ほうじょう やすとき)  ● 活やくした時代   118
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鎌倉幕府の基礎(きそ)を築いた名執権(めいしっけん)
北条泰時 (ほうじょう やすとき)
  
● 活やくした時代   1183年~1242年   鎌倉時代(かまくらじだい)
 
● 活やくしたこと
 
  1183年 北条泰時が北条義時(ほうじょうよしとき)の長男として生まれる。
 
  1192年 源頼朝(みなもとのよりとも)が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となる。
 
        
           頼朝が自分の前で無礼(ぶれい)なことをした御家人(ごけにん)を
         罰しようとしたとき、北条泰時は逆に強くかばった。源頼朝は、「幼いな
         がら、やさしい心の持ち主だ。」と北条泰時をほめ、刀を与えた。
        
 
  1199年 源頼朝が死ぬ。
 
  1203年 2代将軍源頼家(みなもとのよりいえ)が伊豆(いず 静岡県)に流され、
         源実朝(みなもとのさねとも)が3代将軍になる。
 
  1205年 父の北条義時(ほうじょうよしとき)が祖父の北条時政(ほうじょうときまさ)に
         かわって執権(しっけん 将軍を助ける役目)になる。
 
  1213年 執権の北条氏が政治を動かすことに反対した和田義盛(わだよしもり)が反乱をおこす。
 
         北条泰時が和田義盛(わだよしもり)の反乱をおさえる。
 
  1219年 3代将軍の源実朝(みなもとのさねとも)が暗殺される。
 
  1221年 承久の乱(じょうきゅうのらん)がおこる。
 
  1224年 父の北条義時の急死により、北条泰時が執権(しっけん)になる。
 
         鎌倉幕府を支えてきた北条政子(ほうじょうまさこ)や大江広元(おおえのひろもと)が亡くなり、鎌倉幕府を北条泰時が一人で支えることになる。
 
  1225年 北条泰時が叔父(おじ)の北条時房(ほうじょうときふさ)を連署(れんしょ 執権を助けて協力する役職)にする。
 
        北条泰時が評定衆(ひょうじょうしゅう)を置く。
        評定衆(ひょうじょうしゅう)…重要な政務を話し合いで決める役職
 
  1232年 北条泰時が御成敗式目(ごせいばいしきもく)を決める。 
 
  1242年 病死(60才) 
 
 
● 人 物 評
 
 源頼朝(みなもとのよりとも)が築いた鎌倉幕府の土台を安定させたのは、北条泰時といえるだろう。北条泰時は、だれよりも源頼朝を尊敬(そんけい)し、彼を手本にしたという。もしかすると、源頼朝のあとつぎは、彼の息子の源頼家(みなもとのよりいえ)や源実朝(みなもとのさねとも)ではなく、自分だという思いがあったのかもしれない。その思いのとおり、北条泰時は鎌倉幕府を安定させるためのしくみを作り上げていく。鎌倉幕府を育て上げたのは北条泰時と言えるだろう。
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