結婚式というと、うんざりする。どうしても出席しなければならないときは、朝から機嫌が悪い。
式場が××殿なんていうと、そこで耐える時間を思って、もう死んでしまいたいような気になる。
そんなわたしが、続けて二つの結婚式に出席した。わたしの、そのような気持ちを完全に払拭《ふつしよく》してくれたのだった。
井筒陽子さん・宮寺高雄さんの結婚式は人前式。口の悪いのが道端式といっていた。
サンドイッチとワインで有名な店先を借り、式の後の軽食は、みんな、そこでとるので、場所代はタダ同然。
「神主さんも神父さんもおりませんから、この結婚を認めるかどうかはみなさま次第です。認めましょうという人は拍手をしてください。あかん、あかんという人は拍手はしない。よろしいですか」
ユーモラスな司会で式は進む。二人の名前を呼ぶときは、必ず女性が先なのである。
新郎新婦というけれど、なんで、いつも男が先やねん、なめとんかァ……という気構えが、参加者全員にあるというわけ。
じつは二人の出会いは、阪神・淡路大震災のボランティア活動だ。現在の二人は、戦争と平和を考える若者の運動体「ピースボート」のメンバーである。
結婚式にも、二つの活動から学んだことが、ばっちり活《い》かされていて、質素で、それでいて人々の真心がこもり、まことにさわやかだった。
作家の小島信夫氏がおられ、わたしは恐縮して、この先達にあいさつをする。『アメリカン・スクール』『抱擁家族』『私の作家評伝』、みな、わたしの愛読書である。
「孫娘がお世話になります。ありがとう」
大作家は静かな物腰であった。
いま一つは、沖縄・渡嘉敷島《とかしきじま》で農業をやって、がんばっている久野裕一さんと伴侶《はんりよ》になる加藤千晴さんだ。
二人は同じ東京の大学出身なので、その大学の学生食堂で、披露パーティーがもたれた。
学生食堂というのがいいじゃありませんか。
なんの儀式もなし。
出席者全員が、ただひたすら二人の人柄、出会い、エピソードを語るというユニークなもの。
当然ながら話は、感動、笑い、涙ありの大充足の時間、空間が現出した。
途中で、クノ君の渡嘉敷島での、ニワトリとの生活が、スライドで上映され、参加者はうらやましそうな顔で眺め入っていた。
チハルさんも、クノ君と共に島で働いた経験を持っている。
島で親代わりをしてもらっている當山清林《とうやませいりん》さんの妻、恵子さんが、思いこみだけじゃ島の生活は続かない、時間をかけて、よく考えてきなさい、といって、いったん島から彼女を出した。
パーティーの最後、チハルさんはしっかりわたしの手を握っていった。
「わたし、がんばります。がんばれます」
わたしはいった。
「ぼちぼちね」
やがて二人に、それぞれ新しいいのちが誕生することだろう。